元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
課題クリアで見える次の舞台
2019/5/22(水)
皆様、こんにちは!とうとう巨人軍の上原投手が引退を発表しました。才能があったとはいえ、大学時代にエースの座を取ることができず、それでも諦めずに努力を続けました。その努力が、いつしか小さな小さな芽から大きな花を咲かしました。その花は日本だけでなく、世界一と呼ばれるアメリカのメジャーリーグまで届きました。決して、他の投手より大きな才能があったわけではありません。それでも諦めずに努力した彼の背中は、野球界だけでなく、日本、そしてアメリカの沢山の人に勇気と希望を与えた野球人生だったと思います。本当にお疲れ様でした。そして、ありがとう。
そんな感動の中、東京競馬場では第80回オークスが行われました。桜花賞馬不在で混戦が予測されるも、勝利したのは競馬馬主参戦2年目のDMMバヌーシーが持つラヴズオンリーユーでした。鞍上ミルコにとってはこれでJRAクラシック競走全制覇となり、残す未勝利G1が5つになりました。ラヴズオンリーユーにとっては兄が叶えられなかった夢を見事、妹が果たした形となりました。決して、こちらも平たんな道ではなかったと思います。初戦から才能を見せていましたが、圧巻の走りをした2戦目。その後、少し脚に不安が出て、予定していたスケジュールと違う形となりました。それで矢作調教師は、次のプランへと移しました。
そのように迎えた忘れな草賞はデキが万全ではありませんでした。しかし、そのくらいでここを勝ち上がるくらいではないとオークスへは迎えないという強い意志を見せてくれました。その3戦目、圧巻の走りで勝利したのを見て、個人的にはこの馬がオークス馬だと思っていました。しかし、初めての輸送に初めての距離、さらに初めての多頭数のレースと初めてが続きましたが、全てをクリアしての勝利には、管理する矢作調教師や鞍上のミルコ、馬主様と全員がホッとしたことだと思います。ここをクリアすれば次の目標も明るくなりますからね。
レースはスタートと同時に若武者・武藤雅君とジョディーがハナを奪いきりました。その後ろにコントラチェックが控え、ビーチサンバやダノンファンタジーが続く形となりました。そんな隊列で、ラヴズオンリーユーとミルコはその後ろに控える形となりました。ここからは2400mが初めて馬ばかりですので、探り合いが始まります。しかし、ハナを行くジョディーが出したタイムは59秒。本来なら速いと思うペースですし、手探りながら走るオークスはスローになりがちです。それでも初めが速く、徐々に落としていたことで、後ろの集団の騎手にとっては平均からやや遅めかなと感じていたと思います。しかし、4コーナーを回った時にまたペースが上がったことで、先行勢にとっては初めての距離で、その展開は脚をためる暇もなくスタミナ切れを起こす馬が続出となりました。
その中で、スムーズにレースを回ってきた津村君とカレンブーケドールがいち早く抜け出しました。基本は前残りで、力が本当にある馬だけが差し切れる馬場だったと思います。内からはクロノジェネシスが来る中、ケタ違いの末脚で上がってきたラヴズオンリーユーとミルコが最後は流すほどの余裕を持って勝利しました。カワカミプリンセス以来の無敗の女王誕生に、競馬場全体が興奮に包まれたことだと思います。2着の津村君は完璧な騎乗でした。3着の北村友一君も最高の騎乗だったと思います。しかし、それらを全て倒した今回のレースは馬の力、そして鞍上の技術と気持ちの強さが勝利させたのだと思います。秋の3歳牝馬路線はこれでまた面白くなりました。秋華賞が今から楽しみで仕方ありません。
とうとう今週、東京競馬場では日本ダービーが行われます。選ばれた18頭が競い合う、最高のレースには楽しみしかありません。まずはルメールの騎乗停止により、いきなり回ってきたレーン騎手がサートゥルナーリアをどう導くのか非常に楽しみにしています。私個人的な見解では、そこまで簡単なことではないと思っています。その他にも、力は本物ヴェロックスもいます。内枠に入れば、ダノンキングリーも楽しみです。ここに、典ちゃんの騎乗停止により息子の武史が選ばれたリオンリオンも見せ場を作ってくれる気がしています。誰もが負けられない戦い。そして誰もが勝ちたい戦い。それがダービー。一体、どの陣営に今年の神様は振り向くのか。その目で、見届けてください!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。