元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
今年のリーディング争いも
2020/2/5(水)
皆様、こんにちは!コロナウィルスの鎮静化がまだまだ聞こえず、マスク不足があちこちで聞こえてしまっています。こんな時こそ、お互いが助け合う気持ちを見せられたらいいなと思います。競馬界ではミカエル・ミシェルフィーバーがすごいですね。美人すぎる騎手として、地方競馬に参戦しているミカエル騎手ですが、どの新聞やテレビなどのメディアもこぞって取り上げています。少し過度の騒ぎ方に疑問は残りますが、それでも競馬というスポーツに興味を持ってもらうためには、非常に良いのではと思います。
それこそ高いお金を出してCMを作るのであれば、ミカエルにJRAにも来てもらい、盛り上げてもらうことの方が効果があるのではと思ってしまいます。野球でもサッカーでも人気選手は戦力の他にもユニフォーム販売費を考えて取るということも多いですからね。そういった柔軟な考えをJRAは持ってもらいたいですね。
そんなミシェルフィーバーもですが、先週のレースを振り返りましょう。京都で行われたシルクロードSでは、昨年リーディング2位の悔しさを今年こそと燃えている川田君とアウィルアウェイのコンビが見事な勝利をあげました。デビュー戦ではスタートが出なかったにも関わらず圧勝、徐々にトモに筋肉がついてきたことで走りが素晴らしくなっていたにも関わらず次はコントロールが難しい面がでてきていました。そのため、早くから短距離路線へと変更したことが勝因のひとつだと確信しています。その他にも川田君が昨年から心の面でひとつ上がったように思っていましたが、今回もまさにその部分を見せつけてくれたようなレースでした。
馬としっかり会話をしながらレースを運んでいたことも、評価したいですね。レースは戦前からモズスーパーフレアが速いペースで行くことが頭にあったでしょうし、このレースで届かなかったら仕方ないという力の抜け具合も素晴らしかったと思います。しかし、このレースで故障発生してしまったレッドアンシェルは心配ですね。スタートから「※カンパイ!?」と思うほどの勢いでスタートから出ていくも、直線でトモに違和感がでました。そのままずるずると下がっていき、ゴールはしましたが本当に心配です。
※ゲートが一頭だけ早く開いたり、故障して開かない場合など、カンパイ!と申請することでレースをやり直すといったルール。
東京で行われた根岸SではG1馬モズアスコットが初ダートにも関わらず素晴らしい走りで勝利しました。レースは出遅れながらも、ルメールが素晴らしいレースを見せてくれたと思います。そして、今回の勝利は陣営の勝利でもあったと思います。なかなかハンデや相手を見ても結果が出なくなってきたモズアスコットに対し、ダートを走らせてみる挑戦力、そのレースに合わせ馬を仕上げてくる厩舎力の勝利だったと思います。
昨年のリーディング厩舎の技を見たような勝利でした。挑戦は失敗に終われば笑われるかもしれません。しかし、挑戦しないことには、新しい扉は開きません。プライドが邪魔をして、そうしない厩舎も多い中、リーディングを取ってもなお馬一頭一頭に対し、挑戦心を全面に出してきたからの勝利だと思っています。京都で勝った川田君、東京で勝ったルメール・矢作厩舎と今年もリーディング争いはこの3者が活躍するのだろうなと思わされた週でした。
今週の肉の日・2月9日には、東京で東京新聞杯、京都ではきさらぎ賞が行われます。馬券を当てて、いいお肉を食べに行く日にしてもらいたいです。きさらぎ賞はなんと言ってもアルジャンナに注目が集まるでしょうね。今回は今まで戦ってきた相手と比べると少し落ちる気がしているので、ここでは力が違うのではと思っています。栗東滞在で挑むギベルティや距離延長がどうなるグランレイといったところも人気になりそうですね。私個人としてはサトノゴールドがどういう走りをするのかを楽しみにしています。
東京新聞杯はハンデを嫌った一流馬たちが出ないことからも非常に難しい戦いになると思います。ただ、雨が降ったり重い馬場になればレイエンダ一択だと思っているんですけどね。そのレイエンダではなくレッドヴェイロンにルメールが乗るということから、こちらも人気になるでしょうね。その他には乗り替わったクリノガウディーがどんな走りをするのかも楽しみです。さぁ、皆さん、良いお肉を!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。