元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
勝ち方からも世界を狙える器へ
2020/2/19(水)
皆様、こんにちは!2月に入りコロナウィルスだけではなく、ショッキングなニュースが続きますね。何と言ってもビックリしたのは槇原敬之さんの逮捕と野村監督死去のニュースだったと思います。槇原さんに関しては以前の逮捕から更生され活躍されていたので、もう大丈夫だろうと思っていましたが、本当に残念です。彼の作る歌は、彼にしか出せない世界ですから。だからこそ、悩み、薬へと溺れてしまったのかもしれませんね。しかし、それを肯定できないのがルールですからね。しっかりと反省してほしいと思います。
そして、ノムさんのニュースは本当に悲しくなりました。大好きな巨人に対して、いつも野村采配に頭を悩まし、ファンの一人として本当にライバルとしても素晴らしい監督でした。ご冥福をお祈り申し上げます。
そんな悲しいニュースの中、土曜日にはクイーンS、日曜日には京都記念と共同通信杯が行われました。京都記念ではクロノジェネシスが圧巻の強さを見せつけてくれました。成長した馬体からは2000mまでかと懸念されるポイントがありましたが、それでも騎乗の北村友君と呼吸を合わせ、以前よりもコントロールが利くようになった今、距離も全く問題なかったと思います。何よりも今回の勝ちっぷりは、歴史に残る名牝達と肩を並べてくるのではないかという思いすら出てきました。3歳時よりも、成長が見られたことは本当に素晴らしいことでした。
2着にはカレンブーケドールが入りましたね。今回はドバイへのステップとしての位置づけだったと思いますが、1キロ少なかっただけに、ここでこそ勝ち上がりたかったレースでもありました。しかし、後ろからの競馬もできたことはレースに厚みを生み出せることができるため、収穫があったレースだったとも思います。
日曜もうひとつの重賞、共同通信杯では圧倒的人気のマイラプソディが敗戦する衝撃な内容でした。今回負けはしましたが、負けの中でも3着馬は交わしたかったというのが正直な思いだったと思います。馬場が影響したのか、はたまた輸送なのか。これ!という敗戦理由がハッキリしない負け方だっただけに気になります。
そんな中、勝利したのはダーリントンホールとルメールでしたね。本当にルメールが上手かった。以前からも話している通り、馬を折り合わせる技術は群を抜いているほど上手いですね。だからこそ、ポジションを取りに行っても最後まで保たすことができますし、何より無駄がないコースを、バランスを生かしたまま走らせることができますからね。これが連続リーディングを取り続ける騎手だというレースでした。2着にはミナリク騎手とビターエンダーが入りましたね。こちらも、馬の気持ちを優先させ、素晴らしいペースで逃げられたことが今回の結果につながったと思います。
ゴール後にはミナリク騎手から、壮絶な追い合いの末、負けたにも関わらずルメール騎手に手を差し伸べ讃え合った姿は本当に感動しましたね。以前からミナリク騎手の話を聞くと、未勝利でも自分にとっては大事なレースで、ひとつひとつが勉強なんだと言っています。年を重ねてもなお、毎レースを勉強と捉え、少しでもひとつでも上の順位を目指す姿は見習わなくてはいけませんし、過信せずに大事にしてほしい思いと思います。クラシックでは勝利したダーリントンホールよりもビターエンダーが気になりますが、皐月賞がまた分からなくなってきたのも事実です。
そして、2020年最初のG1がやってきます。23日(日)は東京競馬場でフェブラリーSが行われます。本来であれば王者ルヴァンスレーヴや新王者クリソベリルといった馬たちに期待していたのですが、怪我やサウジアラビアに向かうということで、少し手薄になってしまった感はあります。しかし、それでも楽しみにしたいのは連覇を狙うインティになるでしょうね。前走は58キロを背負ってのレースだっただけに、今回はメイチに仕上げてくるでしょうからね。
それに待ったをかけたいのは、1800mになってから結果を出しているヴェンジェンス。今回は1600mですが、東京の1600mは1800mを走るイメージの馬が得意としていますからね。初ダートで結果を出したモズアスコットや変わり身に期待したいミッキーワイルドもいます。地方から参戦する馬たちも楽しみですし、目が離せない戦いになると思います。
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。