元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
出会いと別れ
2020/2/26(水)
皆様、こんにちは!早いもので、2020年もまもなく2月が終わろうとしています。この時期は引退の季節でもあります。騎手でいうと調教師へと転身する四位君が引退をします。その他にも、ピンクのお面でも有名な山内調教師や作田調教師も引退となります。ひとつの時代が終わってしまうことへ寂しさを感じ、新たな道へと挑戦してくる人達に期待を感じます。デビューする4人の新人騎手にまた期待したいです。
定年での引退ではなく、大変残念なニュースが流れました。調教師の高市さんがお亡くなりになられました。闘病をしながらも競馬に挑み、2019年の最優秀障害馬シングンマイケルを最後に管理し、金子騎手の初G1をプレゼントしたばかりでした。ここから新たな楽しみ!というタイミングで本当に無念だったと思います。心よりお悔やみ申し上げます。
そんな悲しみの中でしたが、東京競馬場では2020年最初のG1フェブラリーSが行われました。コロナの影響で勝利騎手のサイン会などはなくなり、観客数も減ってしまいました。そんな中、矢作厩舎が3回連続G1制覇の偉業を成し遂げました。安田記念でG1勝ちがあるモズアスコットを前回、初ダートにして重賞制覇を成し遂げると、その勢いのままダートG1制覇をも成しました。芝ダートの両G1を制した馬は少なく、本当に素晴らしい結果だったと思います。
レースは返し馬から1番人気のインティを見ていましたが、その時点で今回はないと思いました。特にテンションや気持ちが難しい馬だけに、返し馬からも今回は難しいかなと感じたからです。案の定スタートであまり出ず、少し促すも、内からアルクトス、外からワイドファラオが来たことにより控える競馬となりました。アルクトス騎乗の田辺君としては、内から主張したことでワイドファラオが引いてくれると思っていたことでしょう。しかし、そこで競ってしまったことにより両馬ともに少し早いペースとなってしまいました。田辺君としては少し距離を心配していたのもあったと思います。だからこそ、最内をゆっくりと回ることで調整したかったはずですが、それもできなかったことが痛かったと思います。
迎えた直線ではタイムフライヤーが抜群の手応えで仕掛けました。「早い!」と思わず口に出てしまったタイミングでの追い出しに、これで押し切れるのか?と思った矢先、モズアスコットとルメールが内から外へと追い出すと、一頭レベルが違う走りで抜け出し、見事勝利をあげました。最強の馬が最高の乗り方をした結果でした。
2着にはケイティブレイブが入りました。こちらはG1初挑戦となった長岡君とのコンビでした。2年ほどずっと調教をつけてきた彼を指名したオーナーに恩返しとなる騎乗だったと思います。今までの当馬と違う競馬でしたが、それでも調教をつけることで分かり合ったコンビがシナジー効果を生んだと思いました。最高の騎乗だったと思います。
今の時代、上位騎手に馬が集まるのは当然のことです。競馬は勝負ですから。しかし、毎日のようにコミュニケーションをとっているコンビがそれ以上の力を発揮してくれる時もあります。だからこそ、競馬は面白いと思わせてくれたレースでした。競馬は馬とも人とも、常に出会いと別れを繰り返します。しかし、出会ってからずっとコミュニケーションをとってきたコンビを応援したくもなります。そんなことを思い出させてくれたレースでした。
今週はサウジアラビアでのレースのため、ルメール・武豊騎手が不在になり、他の騎手にとってはアピールの場となるのか、楽しみな週です。開催も変わりますので、皆様ご注意ください。今週から中山、阪神、中京開催になります!月が替わり3月1日には中山競馬場で中山記念、阪神では阪急杯が行われます。とりわけ中山記念は非常に濃いメンバーがそろっています。
その中でも注目は、相棒戸崎君がケガのため、引き続き典ちゃんとのコンビで挑むダノンキングリーです。ここは必勝でいきたいところだと思います。しかし、そこに待ったをかけたいのがマイル王インディチャンプ、ドバイに向けて弾みをつけたいラッキーライラックではないでしょうか。個人的に一番注目しているのが、池添君とコンビを組むペルシアンナイトです。近走で結果は出ていませんが、1800mというのは今ではベストな気がしています。そこに謙一君の技術と気持ちが入ればやってくれるのでは?と期待しています。
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。