元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
可能かベストか
2020/10/14(水)
皆様、こんにちは!先日、我が家へ栗東にある馬具店、時田馬具の浅田君が遊びにきてくれました。現社長の2代前の社長には義父の厩舎でも大変お世話になっていたので、懐かしい話で盛り上がりました。昔と今の鞍では形や重さも変わっていますが、職人さんはどのように使ったら、どのようにケアしたらと常に試して、少しでも騎乗しやすいものを勉強していると聞き、自分達の命を預ける鞍はこういう人達に支えられているんだなと改めて思い直した日になりました。
その他にも豊ちゃんが今、鐙の開発にも関わっているらしく、本当に研究の成果が騎手の結果へと結びついているのだなと感心もしました。ファンの皆様だと、なかなか馬具店に行くことはないでしょうが、オリジナルキャップや騎手が使うムチやゴーグルなど全てが揃っていますので、是非コスプレする際や騎手と同じ装備がほしい方は、問い合わせしてみてください。
※時田馬具 http://www.tokitabagu.co.jp/
そんな時田馬具店で馬具を購入しているルメール騎乗のサリオスが圧巻の走りで制した毎日王冠の話をしましょう。クラシックでは王者コントレイルに屈しての2着と悔しい思いをしてきましたが、彼のベストは1600~1800mだと思いますので、今回は非常に楽しみにしていました。パドックでは夏を越して更に骨太な感じになっており、ここはトライアルだからというような仕上げだったと思います。
スタートが切られると、トーラスジェミニとコントラチェックが速いペースで逃げる中、きっちりと折り合ったサリオスは4番手を進みました。まさに絶好のポジションで、ルメールも操縦性の高さにかなり評価をしたと思います。迎えた直線では、気合を入れた1発と抜け出して遊ばないように入れた1発の計2発のムチの使用だけで、年上の馬たちを圧倒しました。ダイワキャグニーに併せた瞬間に思わず口から「これは強い」と漏れてしまうほどでした。
レース後には、管理する堀先生から「2000mは長いためマイルCSか香港マイル」とコメントがあったという情報を拝見しました。個人的には、ここまで折り合いがつくのであれば2000mの天皇賞(秋)も面白いと思いましたが、体つきからもベストではないのでしょうね。走れるから出すというのと、ベストな環境で走らせたいという両方の視点がありますからね。このコメントからも、堀先生は管理する馬に対しての考えを学べたと思います。
2着には東京大好きのダイワキャグニーが入りました。去勢手術をしたばかりだったことからも、この次が注目だなと思っていましたが、2着とはいえ結果を出したことは、非常に大きな意味があったと思います。残念ながらスタートで出遅れ、緩い馬場に適応できなかったサトノインプレッサに関しては気性面で難しいところが出てきているのが気になりますし、名門・矢作厩舎がどう修正してくるか次走が非常に楽しみです。
今週は牝馬三冠レースのラスト、秋華賞が行われます。毎回書いているのですが、私の時代では三冠最後はエリザベス女王杯だったのですが、すっかり最近は秋華賞に慣れました。そのレースに三冠達成を狙いデアリングタクトが出走してきます。ここを秋緒戦に選んだことも昔ならばステップを使って!という当たり前が変わってきているので、期待したいと思っています。騎乗する松山君にとっても、是が非でも取りたいレースでしょうし、気負いはあれど、いつもどおり馬を信じて乗り切ってもらいたいと思います。
その他の馬たちは三冠を達成させるわけにはいかないとレースに挑んでくると思いますので、そこも楽しみです。特に京都ということで、輸送さえ乗り越えればマルターズディオサは非常に面白い一頭になる気がしています。復活したリアアメリアも虎視眈々と頂上を目指してきますし、抽選次第ではレイパパレも底を見せていない怖さがあります。南部杯で悔しい負けをした横山武君のウインマリリンも侮れない一頭です。
抽選で指定席が当たった方の入場ありのG1になりますし、チケットが当たった方は歴史に残る牝馬三冠を目の前で見られるかもしれません。最後の一冠はどの馬に?!見逃しなく、最高のレースを期待しましょう!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。