元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
サンデー競馬
2021/5/11(火)
皆様、こんにちは!突然の梅雨のような雨と暑さにビックリしつつも毎年恒例カエルの大合唱を聞きながら過ごすのも悪くないなと思い始めた今日この頃。我が家では、こちらも恒例となっている新ショウガをつけるのも始まりました。この時期に値段が少し落ち着いた新ショウガを漬け清潔に扱うと、かなり長い間楽しめます。昔、義父はこだわってお漬物をつけていましたが、ショウガを漬ける度に懐かしいなと思いだせる恒例ともなっています。
そして、コロナワクチンの予約ですが、前回書いた内容が朝のニュースでも大きく取り上げられていました。電話は繋がらない、ネットはできないのでヘルプに大学生をバイトに雇うも、そこにも殺到するという事態になっているようです。我が家はそんな反省を活かし、息子が携帯とパソコンの両方で予約を完了してくれたのですが、ネット予約も殺到していたと言っていました。ここまで混乱を招くのであれば、ランダム抽選で日を決めてくれた方がまだありがたいなと思ってしまいました。とはいえ、2回目の終了が2カ月後ですので、それまではコロナ対策をしながら大人しくしようと思います。
それでは、新ショウガのように色々なところで真っピンクになった母の日に行われたNHKマイルCを振り返りましょう。ピンク帽!ではなく、赤のカーネーションが2本クロスしたようなサンデーレーシングの馬が上位1~3位を独占。勝利したのはドイツ産馬シュネルマイスターとルメールのコンビでした。前のコラムでもこの馬の走り方が好きだと書きましたが、今回も素晴らしい走りを見せてくれました。
レースは衝撃の幕開けでした。前日には1番人気に推奨されていたバスラットレオンがゲートでつまずき落馬。レース振りからも必ず逃げたい思いがカラ回ってしまったのかも知れません。その中、大外でもスタートを決めたピクシーナイトが逃げる形へ。そこにホウオウアマゾン、グレナディアガーズが続く形となりました。非常にペースが速く、これは差し競馬になるなと思いながらも見ていました。直線に入るとグレナディアガーズが進路を選びながら、早めに先頭へと躍り出ました。
しかし、今回のレース展開とタイムとしては、少し早い仕掛けとなりましたね。川田君としても、もう少し我慢させたかったと思いますが、道中のつくりから直線あの展開では、もう行かせて突き放してくれと願ったと思います。しかし、その動きをじっくりと狙いを定めたのが池添君とソングラインのコンビ。川田君の左ムチを確認すると一気に併せに行き一脚で抜き去ると、これは!と思わされた矢先、更に後ろから狙っていたシュネルマイスターとルメールのコンビがハナ差交わし、ゴールインしました。池添君としても完璧なレース運びだったと思いますが最後に馬がバテ、モタれた分の負けでした。
シュネルマイスターにとっては素晴らしい勝利になりました。ルメールもここがゴールになる馬ではないと感じていたと思います。だからこそ、まだ若い馬の気持ちを尊重させて走らせ、結果も手に入れました。違う騎手ならば、ここでの結果が全てと乗っていた可能性すらあります。それを次に繋げる乗り方で結果を得てしまうのですから、彼がリーディング騎手に居座り続ける理由も納得できます。上位3人の匠なやり取りは天皇賞(春)に引き続き、騎手の作戦がぶつかり合ったレースで非常に興奮しました。日曜にサンデーレーシング独占の競馬で、まさにサンデー競馬でした!
今週はヴィクトリアマイルが東京競馬場で行われます。なんといっても注目は再度マイル路線へと戻ってくる女王グランアレグリアでしょう。この距離では完全無欠の存在だと思いますし、圧倒的な勝利を見せてほしいと思います。そこに待ったをかけたいのがレシステンシアと豊ちゃんのコンビではないでしょうか。しかし、個人的には距離が長い気がしています。デゼルに関しては、このメンバーでどういった走りをしてくれるか気になりますが、いかがか?と疑問があります。
逆に、前回デゼルに敗れたマジックキャッスルは東京に替わることで更に面白いのではと思っています。その他にも勢いがあるテルツェットや復活してほしいサウンドキアラ、ダノンファンタジーの逆襲と見所が満載。圧倒的女王がどのような走りでライバルを退けるのか。はたまた他馬の逆転はあるのか。非常に楽しみなヴィクトリアマイルは今週日曜日です!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。