元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
メリハリと追分ファームの試み
2021/6/16(水)
皆様、こんにちは!今年の梅雨のメリハリが強く、雨が降る週と降らない週のハッキリ梅雨に嬉しくもあり、少し戸惑っています。そんな中、ワールドカップ2次予選が終了しました。日本としては、収穫の多い予選になったのではないでしょうか。新たに出てきた戦力がマッチし初め、森保監督の意図するショートパスを繋ぎながらの連動性が見えました。その上で、絶対的エース大迫選手不在でも代役として頼もしい選手が出てきたのは嬉しい限りでした。
ハットトリックを決めたオナイウ選手はスケールの大きさが見えますし、何よりも決め切ったことやゴール前の入り方に工夫があり、見ていても楽しい選手だなと思いました。ひとつずつ積み重ねてきた日本代表。その昔はプロすらなかった日本サッカーが、ここまで来たんだなと感心ばかりさせられました。
それでは競馬の話をしましょう。今回は札幌で行われた函館スプリントSを振り返ります。オリンピックや色々な兼ね合いから札幌スタートとなった北海道開催。久しぶりに聞くファンファーレに見ているだけの私も気持ちが昂る中、行われました。1番人気にはロードカナロアとカレンチャンの子供カレンモエが選ばれました。しかし、レース前に開幕週のスプリント戦でピンク帽は辛いなと思ってみていました。絶好のスタートをきりましたが、逃げたこがない経験やビアンフェの存在から鮫島克君は2番手に引くことを選択しました。
すると待っていましたとビアンフェがハナを奪う形になりました。去勢後2回目でゲートでも変わり身を見せており、しかも札幌の開幕週。藤岡佑君にとっては全てが良い方向に転んだ展開となりました。少し速いペースでも、開幕馬場とビアンフェの走りなら気持ちよく走らせた方がいいことを一番理解していたのだと思います。4コーナーを回り、カレンモエも必死に食らいつこうとしますがなかなか止まらず、外からはミッキーブリランテやジョーアラビカらが迫るのを抑え込み、見事な勝利を挙げました。中竹厩舎の北海道シリーズの短距離はやはり怖かった!という結果になりました。
2着に敗れたカレンモエは展開も然りながら、少し頼りないところを出してしまいましたね。しかし、あのスタートセンスや走りを見ると重賞をいつ勝ってもおかしくないだけに、何か変化がほしいレースとなりました。そして、今回は負けましたが5着に入ったカツジは見応えのあるレースを岩田康君がしたなという印象を受けましたね。もちろん、今回の馬場であの場所からは厳しいと思います。しかし、天才だからこそ、馬を再度活かすために模索したのを感じました。また重賞のどこかで一発があるなと思わせる走りを見せてくれたと思います。馬も同じレースばかりではなく景色を変えてあげることで再度、闘志を燃やすことがありますからね。
G1ウィークが終わり、少し中休みのような気持ちになってしまっていますが、今週も楽しみなレースが盛りだくさんです。その重賞前に、ひとつ気になったことがありました。今年の新馬を見ていると追分ファームの馬の活躍が目に留まりますが、例年よりも早めに仕上がっているなという印象を非常に強く受けます。これは新たな戦略だと思いますが、2歳時から活躍することでレース選択の幅を広げようという意思が見えます。
逆に早めから仕上げてしまうことへのリスクもあると思います。しかし、リスクを恐れていては壁を突破することはできません。そういった意味で追分ファームの今回の戦略はどう繋がってくるのか。クラシック戦、そして馬の馬生としてどうなるのか、この世代に注目していきたいと思います。
今週は東京でダートの出世レースのユニコーンSが、阪神ではマーメイドSが行われます。とりわけ注目は荒れるマーメイドSになります。ソフトフルートが1番人気に推奨されると思いますが、私の期待はアンドラステになります。ここで重賞制覇がなければ今後が苦しいだけに、その勝負を楽しみしています。
人気を落としそうなミスニューヨークやロータスランド、雨が降り続けばイルマタルにも期待したいところです。イルマタルと言えば先日引退した三津谷君が大雨の中、1頭スイスイと水かきをつけたかのようなレースで勝利したイメージがあるので、軽ハンデ50キロと相まって楽しみです。今年の梅雨のようなメリハリのある大荒れ馬券を期待して、今週は楽しみましょう!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。