元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
一人紅白馬合戦
2021/10/20(水)
皆様、こんにちは!週末の雨が降った後から半袖で過ごしていたのがウソのように寒気がやってきました。半袖からいきなりセーター、扇風機からストーブを出すという、秋がどこにいったのかと不安になるほどふり幅がある気候の変化にビックリしました。そして、こう肌寒くなると毎年恒例、紅白歌合戦の出演者発表が近づいてきます。年々、出てくる人が分からなくなってきていますが、それでも楽しみなのに違いはありません。いきなり来た冬に体調だけは気をつけていきましょう。
それでは先週の競馬を振り返りましょう。京都競馬場の改装工事に伴い秋華賞が阪神競馬場で行われました。こちらは、まさに金子オーナーの一人紅白馬合戦となりました。戦前より人気を集めたのが白馬のソダシと吉田隼人君のコンビでした。前走の札幌記念は52キロということもありましたが、年長馬相手に堂々の勝利。そして、2000mの不安も無くなったことで圧倒的勝利もあるのではないかと思っていました。
返し馬でも「これはいいな」と思うほどスムーズに下ろしているのを見ました。そこから気分に変化が起きたのか輪乗りしている所から出ていきたがらず、ゲートに激突するハプニング。それでも取った位置、ペース全てがソダシに向いたレースだと思いました。しかし、3コーナーから4コーナーにかけて鞍上の吉田隼人君が押っ付けるのを見て「早い!」と叫んでしまいました。
この時、外の戸崎君と赤組アカイトリノムスメの手応えを確認すると、素晴らしい騎乗をしていたので、これは赤組だ!と思いました。この時に内からアンドヴァラナウトと福永君が抜け出してきたのを見て、これはやられたと思いましたが、そこから更にもう伸びしたアカイトリノムスメが母アパパネに続くG1制覇を達成しました。戸崎君にとってはケガからの復活後、初のG1制覇となりました。
今思えば、この騎乗機会を得た瞬間から戸崎君に運があった気がします。同厩舎のサトノレイナスが故障となり秋華賞を回避。最近の流れからすると、前に乗っていたルメールに乗り替わりというニュースが出てしまうのではないかと思っていました。ここでも乗り替わりの発表がなかったのは馬主さんや国枝先生、戸崎君の人柄や技術、全てがかみ合ったからこそだなと思いました。それを結果で返した戸崎君の騎乗は通常以上に大きな意味を持った勝利でした。
2着にはルメールが乗ったファインルージュ、3着には最高の騎乗をしたアンドヴァラナウトと福永君のコンビとなりました。本当に素晴らしい走りをした3頭の争いは道中からお互いのかけ引き、コース選びなど非常に面白いレースでした。是非、皆様にもパトロールビデオで、それぞれの動きを見てもらいたいなと思います。
白組ソダシは着外へと敗れてしまいました。レースを観ている時は早仕掛けが気になりましたが、冷静になるとあそこであれだけ動かさなくてはいけないほどの手応えだったことを思うと、馬の気持ちの部分で変化があったのかもしれません。無観客に慣れていたところをお客様の目の前からのスタートという影響があったかもしれません。今後はどのようなローテーションが組まれるか不明ですが、金子オーナーの紅白馬合戦はまだまだ続きます。今回は赤組、小林幸子さんの不死鳥フェニックスを思わせる、復活した戸崎君とアカイトリノムスメの勝利でした!
興奮冷めやらぬ紅白馬合戦が終われば、今週は阪神競馬場で菊花賞が行われます。テレビだと「ゆく年くる年」が放送されるタイミングだけに、108回の鐘からも10番と8番は見逃せないなと思っています。そんな中、本命に選ばれるのは神戸新聞杯で得意の雨を味方につけたステラヴェローチェではないでしょうか。ここに同レースで成長を見せたレッドジェネシスがどれだけ食い込んでくるのか。しかし、個人的にはあの雨馬場を走ったことでの目に見えないダメージを心配しています。
そのため、今年の菊花賞は非常に難しいなと感じています。その中で、私はオーソクレースやヴェローチェオロあたりに注目しています。京都の3000mと阪神の3000mでは必要な適性も変わってくるだけに、スタミナだけではなく疲労度の少ない馬を選ぶのもひとつの手かもしれません。穴候補モンテディオがどこまで食らいつくのかなども密かな楽しみに伝統の菊花賞を見届けるつもりです!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。