元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
競馬一家
2022/5/5(木)
皆様、こんにちは!日が長くなり一気に冬から夏へと景色を変え始めています。しかし、おかしな天気で東北では雪が降ったりもあったようですよ。そんな中、クラウンプライドの担当でアメリカにいる息子から連絡がありました。現地のサイトでインタビューを受けたから小さい頃からぬいぐるみの馬に乗っていた写真を送ってほしいとのことで、必死に探して送りました。今週末にはケンタッキーダービーが開催されます。楽しみと心配が交互するような感情ですが、彼が調教している動画や写真を見ていると勝負するための準備はできているんだろうと思えました。
今にして覚えば、騎手試験に失敗し、途方にくれる中でアイルランドへと連れていってもらい、社台ファームさんに勤め色々な経験をしてきました。エアシャカールやアグネスワールド、ヴィクトワールピサと海外での経験を更に積み、全てが血となり肉となったのだと、改めて息子ながら素晴らしく成長してくれたんだなと思えました。その経験の全てを懸けて挑むケンタッキーダービー。歴史を変えてきた経験があるからこそ、期待して応援します。皆様も大きな声援をよろしくお願いいたします!
そんな家族愛を語りましたが、日本競馬でも家族3代の歴史的勝利となりました。天皇賞(春)を勝利したのは横山典ちゃんの長男・和生君とタイトルホルダーのコンビでした。横山家は親子3代での天皇賞(春)制覇となり、またタイトルホルダーにとっても姉のメロディーレーンを負かし、かつ弟の武史君だけにとどまらずG1をプレゼントする勝利となりました。これで次に典ちゃんが乗ってG1を勝てば横山家3人と共にG1を勝った馬として間違いなく、唯一無二のタイトルホルダーになるでしょうね(笑)。
レースはスタート100mで決着したといっても過言ではなかったと思います。シルヴァーソニックが落馬する波乱のスタートとなりました。しかし、タイトルホルダーと和生君は迷わずハナを奪いにいきました。少し気合をつけさせすぎたかな?と思った前半は1分ちょっとと、このレースにしては速いペースでしたが、向正面に入る頃には息が入り、よく馬と会話ができているし、ペースをゆだねさせているように見えました。
この形ならタイトルホルダーが圧勝するかと思わされた時、テーオーロイヤルと菱田君が勝つために動き出しました。このシーンはしびれましたね。菱田君が勝つためには動くしかなかったからです。動かなければ2着もあったと思います。しかし、それではダメだと勝つために動いたのです。これはG1を勝つための覚悟ができた騎乗に見えました。こういった勝負ができる騎手は馬との巡り合わせでG1を勝つことができると思いました。しかし、そんなテーオーロイヤルを振り切ると、最後は大きな差をつけてタイトルホルダーが勝利しました。
まさしく日本を代表するステイヤーとして認めざるを得ないレースだったと思います。海外ではストラディバリウスが活躍した路線に挑んで勝利を積み重ねてほしいと思うほどでした。これで横山家は3代続く、騎手で全員がG1を勝利するという成績となりました。小さい頃から自然と覚えた馬の接し方、競馬論を引き継がれてきた結果だと思います。我が家は調教師、騎手、助手という形で違いますが、横山家の素晴らしい結果に勇気をもらいました。台風一過はまだ来ていませんが、競馬一家の感動旋風が巻き起こりました。
今週は東京競馬場でNHKマイルCが行われます。まず注目が集まるのがセリフォスと福永君のコンビになるのではないでしょうか。ここでは力の違いを見せつけたいと思っているはずですし、3歳戦に強みのある中内田厩舎ということで注目度が増します。そこに待ったをかけたいのが安田隆厩舎のダノンスコーピオンと川田君の師弟コンビ。川田、ダノン、安田隆の3拍子でマイルと来れば、こちらもまた注目が集まります。
その他では善戦が続くタイセイディバインも面白そうだなと思いますし、典ちゃんとマテンロウオリオンは相当の相性だと思っています。予想は難解を極めそうですが、非常に面白いレースになる気がしています。さぁいざ勝負の時!ケンタッキーダービーにNHKマイルC!人馬が全てを出し切る感動を待ちましょう!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。