'14~'16年とJRA最多勝利騎手&MVJに輝いた戸崎圭太騎手による、大井競馬在籍時代から続く
人気コーナー!トップジョッキーならではの本音、レースへの意気込みをお届けします!
12月16日時点1567勝
G1制覇のチャンス在り!?メラグラーナで高松宮記念へ
2017/3/24(金)
前ページ:
「G1制覇のチャンス在り!?メラグラーナで高松宮記念へ」はコチラ⇒
(コウソクストレートは)これに関しては、僕の乗り方とか関係ありません。厩舎スタッフの努力の賜物以外にありませんよ。
-:今週はテン乗りの馬が多く、ここからは回顧となります。比較的勝った馬よりも、負けた話題ばかりになり、恐縮ですが(苦笑)、よろしくお願いします。まず、スプリングS(G2)のサトノアレス(牡3、美浦・藤沢和厩舎)は惜しくも4着でした。
圭太:ひと叩きすれば、もう少し変わってきそうな雰囲気は感じるんですけどね。ゲートで躓いたこともあり、後手を踏む形になったことも厳しかったです。
皐月賞も引き続きサトノアレスとのコンビが継続 リベンジなるか
-:皐月賞で改めて期待したいですね。月曜中山のビヨンジオール(牡5、美浦・的場厩舎)はガラっと変わってきました。
圭太:その前が厳しい競馬になっていましたからね。上手く走らせてあげたら、とは思っていたのですが、いいリズムで運べましたし、状態も良かったのでしょう。勝てませんでしたが、いいタイミングで乗せていただきましたよ。
-:やっぱり、乗り慣れた鞍上というのも良かったのかもしれませんね!バスカヴィル(牡3、美浦・二ノ宮厩舎)は外枠もキツかったのでしょうか。
圭太:前にも言いましたが、芝でも良いのかもしれませんね。それに、追い出すと推進力が上に逃げている感じでした。内に入り込めたし、雰囲気は悪くなかったのですが。
-:ニットウスバル(牡5、美浦・高橋文厩舎)は意外や1番人気。しかし、展開が向かなかったですね。
圭太:この馬も勝つ力はありますよ。ただ、ペースだったり、色々な要素がありますからね。
-:思ったほどテンの争いも落ち着きましたね。
圭太:それに、先週の中山はペースが遅いレースもあるけれど、とにかく前残りばかりでしたから。それもありますね。
-:本当に馬券圏内の馬は先行勢ばかりの一週間でしたね。どうしたものか!?と。続いて、中京のモンドアルジェンテ(牡5、美浦・萩原厩舎)は不可解な敗戦でした。
圭太:いやあ、僕も本当にどうしたんだろう、という結果でした。いい形で運べましたが、追ってからモタついてしまって……。
-:とても負けようがないんじゃないかくらいに思っていただけにビックリです。いくら、近走が内枠でのレースが続いていて、外を回されたにせよ、能力を考えれば、あんなはずはないですからね。勝ったレースを伺うと、ファルコンSのコウソクストレート(牡3、美浦・中舘厩舎)は鮮やかな変わり身でしたね。
コウソクストレートと鮮やかにファルコンSを制した
圭太:そうですね。これに関しては、僕の乗り方とか関係ありません。厩舎スタッフの努力の賜物以外にありませんよ。とにかく落ち着きがありましたし、レースに行ってからもリラックスして走っていましたから。ハミを替えたり、調整も工夫されたのだと思います。
-:ハミを替えたのが良かったのか、調整面なのかはわかりませんが、シンザン記念から約2カ月でしっかり立て直してきたことが素晴らしいですね。同じ日のコンテナ(牡5、栗東・牧浦厩舎)はどうでしたか?
圭太:いいスピードがあるし、いい馬ですね。これなら、昇級しても楽しみです。
-:その前走から比較すれば、割りとじっくり運んでいて、一瞬はアレっ?と思ったほどでした。
圭太:先生からも指示がありましたからね。
馬体重596kgの超大型馬コンテナを連勝に導いた
-:未出走だったグローリーハンター(牡3、美浦・田村厩舎)はどうでしたか?
圭太:攻め馬から良い動きをしていたらしく、厩務員さんからも「スゴいですよ」なんて聞いていたんです。評価どおりでしたね。
-:さて、今週ですが、G1でもありますし、インタビューイベントにもおこしいただいたので、質問コーナーはありませんが……火曜日はお忙しいところ、ありがとうございました。
圭太:いえいえ、あんな感じで大丈夫でしたかね(笑)?
-:皆さん、是非喜んでいただいたようで、また数年後にまたやれれば……。次週はダービー卿CT(G3)でグランシルク(牡5、美浦・戸田厩舎)に騎乗とのこと。週明けにはG1での喜びの声を聞けることを期待しつつ、引き続きよろしくお願いします。
圭太:ありがとうございます!
(聞き手:競馬ラボ・小野田学)
※次回は3月31日(金)に更新予定です!
プロフィール
戸崎 圭太 - Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗、初勝利を飾るなど若手時代から存在感を放っていたが、本格的に頭角を現したのは08年で306勝をマークし、初めて地方全国リーディング獲得した頃から。次第に中央競馬でのスポット参戦も増えていった。
11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初のJRAG1勝ち。その名を全国に知らしめると、中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を2度目の受験。自身3度目の挑戦で晴れて合格し、13年3月から中央入りを果たした。移籍2年目はジェンティルドンナで有馬記念を制す劇的な幕引きで初の中央リーディング(146勝)を獲得。16年も開催最終週までにもつれた争いを制し、3年連続のJRAリーディングに。史上初となる制裁点ゼロでのリーディングだった。19年にはJRA通算1000勝を達成、史上4人目のNARとのダブル1000勝となった。プライベートでは2022年より剣道道場・川崎真道館道場の総代表を務めている。