'14~'16年とJRA最多勝利騎手&MVJに輝いた戸崎圭太騎手による、大井競馬在籍時代から続く
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【番外編】シリーズ~戸崎圭太を知る男~ 「圭太がいなかったら今の自分はない」と語る調教助手
2017/11/15(水)
冒頭から前置きをさせていただくと、今回の連載は戸崎圭太騎手当人の声ではない。通常の連載と異なり、戸崎圭太を知る人にスポットを当て、本人が語ることのないエピソードを引き出したいという考えの基に、ロングインタビューを行った、いわばスピンオフ企画。不定期企画ではあるが、今回は戸崎騎手と地方競馬教養センター時代の同期であり、今は栗東トレセンで調教助手として活躍するホースマンに伺った。
●地方教養センター時代から、変わらずマジメ、人に好かれた戸崎少年-:いつものコーナーとは違って、戸崎圭太騎手の素顔を知る人へのインタビューを通して、戸崎騎手の知られざるエピソードを探っていければと思います。今回は元高知競馬のジョッキーで山内研二厩舎の川江光司調教助手に伺います。よろしくお願いします!
川江光司調教助手:最初何の取材かと思いましたよ~。圭太にも「圭太のことを聞きたいって言ってきた人がいるんだけど」って連絡しましたわ。そうしたら、「誰だかわからない」って言っていましたからね。
-:突然失礼いたしました……。僕も戸崎さんには特に言わず、伺ったので。川江さんは戸崎騎手と同期ということですね。
川:完全な同期です。浦和の繁田(健一騎手)は半期下で、大井の御神本(騎手)が2期下。船橋の(森)泰斗は同期ですよ。
-:戸崎騎手と話をしていても、川江さんの名前がよく話に出てきますね。
川:そうなんですね。これは教養センター時代の話で、あまり出して良いのかだけど、圭太は半端なく貯金がありましたね。
-:「貯金」ですか?
川:お菓子ロッカーがあって、一杯貯めてお菓子でパンパンですよ。
-:そういう貯金ですか(笑)?ちょっと聞いたことがあります。
川:常にパンパンですよ。僕はそんなになくなることもなかったけど、ない人はみんな圭太にもらうんですよ。それに、競馬学校の時から圭太はすごく真面目。真面目過ぎたから、僕らも無断外出した時に誘っても「最後に行く」とずっと言っていて。僕らは何回も行っていたんだけどね。「行こうや、楽しいから」と言っても行かへんからね。といっても、僕らもコンビニに行ったくらいです(笑)。それくらい当時は厳しかった。
先日、地方競馬教養センターから恩師を招いて同期会やったんだ。みんな今もそれぞれの場所で戦ってるみたいで勇気もらったよね。JRAの調教助手になってる奴が多いかなJRAのリーディングジョッキーになってる奴もおる?? pic.twitter.com/QeIMX8Dcxb
— 森泰斗 (@taity0319) 2016年7月30日
▲同期の森泰斗騎手ツイッターより 昨年行われた同期会の様子
-:技術的にはどうでしたか?
川:アイツは乗馬をカジって来ていたから、最初から上手かったですよ。そして、教官に上手いこと入っていくから、良い馬ばっかりやもん(笑)。馬場馬術の試験、障害の試験、ある程度は馬で決まりますから。教養センターの中でも乗りやすい馬と乗りにくい馬がいて、絶対に良い馬は圭太でしたからね。でも、上手で努力家だったしね。先輩らにも好かれていたしね。減量も苦労していなかったから、お菓子もご飯も自由におかわりをして、うらやましいなと。体重も変わらなかったしね。
-:教養センターで一緒に過ごした先輩ジョッキーは今でも現役でいますか?
川:園田の寺地誠一さんなんかはまだ現役で乗っていますよね。僕もこの前、会う機会がありましたよ。教養センターは半年毎に入るもので、中央より短くて2年ですから。被っているのは1個上と1個下、2期下まで被っているから。僕らが最後、上の代の時に、御神本らが一番下でいる感じでした。よく部活動なんかで先輩後輩の間ではあると思うけど、何か後輩が気に入らん、みたいな時でも、圭太は絶対に出てこないですからね。だから、基本誰からも好かれるよね。
-:同じジョッキーとして観られていて、技術的にも上がっていった感じはありますか?
川:南関東でリーディング獲り出してからは、本当に上手くなっていっていたね。コイツは上に行くやろなと。
●同期のJRA入りを陰ながら後押しした戸崎騎手
-:川江さんに話を聞くキッカケとなったのが、戸崎騎手が調教で栗東に来られたとき、よく会われるとのことで。
川:関西に来る時は連絡していますね。酔っ払ったら、いつも自分には出来ないことをにお前には出来て、みたいなのがお互いであるから、「よく尊敬しているよ」みたいな話になるけどね。酔っ払った時の方はよくしゃべるし、おもしろいんじゃないですかね。この間も今、僕がかわいがっている川又(賢治騎手)を連れて行っていて、色々、聞けと。ただ、圭太が来た瞬間、固くなっちゃって(笑)。しかし、JRAで3年連続リーディングなんて、獲れないですよ。技術的にも本当に上手いと思いますね。ウチの厩舎の馬を乗せていても思いますね。
-:やっぱり良くなっていますか?
川:来た時からソコソコ良いレベルで入ってきていて、それでいて伸びている。乗れないようになったら、僕が圭太の引退勧告をしてあげるわ(笑)。
-:まだだいぶ先ですね(笑)。
川:まだ大丈夫やね。圭太がウチの馬でヘグった時に「お前、あれヘグったやろ」と言ったら「やっぱりヘグった?」「大ヘグりや」と、ハハハ。例えば、去年、サハラファイター(牡4、栗東・山内厩舎)という馬で、1000万で確勝級やろと思って乗せたら3着。あの時は最終レースで、その前の重賞を1番人気で負けてボケていたんちゃうかな(笑)。それで、次は同じエージェントのムーアが騎乗して、アッサリ勝ったり。
-:その山内厩舎の馬には、調教でも騎乗されていますよね。よく乗っている印象です。
▲左が川江助手
川:圭太はこっち(厩舎)に顔を出しに来るからね。ウチに来たら、攻め馬空いている時は乗せるんだけど、みんな新聞記者が「戸崎、山内厩舎の何に乗ってんねん!?」と。例えば3歳未勝利で攻め馬用に乗せているのに、後で投票所とか行ったら、マスコミみんなに「何乗っていたん」と言われるもん。「あれ、未勝利で圭太は乗らへんで」みたいなね。稽古する時も「圭太、乗せて良いんか?」と心配するよね。でも、「大丈夫、大丈夫」と言ってくれて。
圭太はウチの調教師には「すごく感謝している」と今でも言うしね。だから、最初にJRAへ来た時も、全然友達もいなし、知らないじゃないですか。攻め馬でこっちに乗りに来ていたから、ウチの厩舎においで、と言って。だから、圭太が来たら、ウチの厩舎のみんなが良くしてくれますね。昔から顔を知っているし、圭太が活躍すればするほど、周りのみんなが応援してくれる。僕がここにいるのも、圭太のおかげという意識がすごくあるんですよ。そういう話を酔っ払った時にするけど「えっ、そうだったっけ?」とサッと言いよるのでね。覚えているかどうか知らないけど、助けてもらった方からしたら覚えているから。
「『もうアカンわ、絶対に受からんわ』と言っても『面倒を見るし、頑張れ、頑張れ』と言ってくれていたから、すごくありがたい存在でした」
-:そんなエピソードがあるんですね?
川:僕が24歳で高知の乗り役を辞めてから、そこから牧場に行って、その時にも連絡を取っていたのです。圭太と今でも話をするんだけど、圭太の存在はものすごく大きかったんですよ。乗り役をやっている時でも、何年間か乗ったら、自分の騎手としてのレベルは、勝ち鞍などでも分かるじゃないですか?僕が電話で「乗り役を辞める」と言った時に「もうちょっとやれよ」という話をしていて、もうちょっとやるけど、地方はどこかに所属をしないといけないので、転厩するわと。もし、転厩してもダメだったら辞めるし、南関東でも行こうか、という話をしたら、「分かった、来いよ。厩舎も探してやるよ」みたいなことを言ってくれていたから、僕からしたらある種の「保険」になっていたんですよ。
当時の高知は、景気が悪かったから、賞金がバンバン下がっていて、乗り鞍や勝ち鞍が変わっていないのに年収がガンガン下がっていたんですよ。他の競馬場が潰れていたし、“これは潰れるな、ヤバイな、このまま続けてもな”と思って。そんな矢先に、アンカツさんらが中央に入ったり、今は矢作厩舎に助手としている騎手の同期の安藤貴英が「辞めて、JRAを目指すわ」という話を聞いていたり。そういう道もあるんだなと思っていたら、安藤に「年齢制限もある」という話を聞いていて、最終的にJRAを目指そうと思って。
アポロケンタッキーの調教に騎乗する川江助手 山内厩舎の活躍を支えてきた
JRAを目指しつつ、牧場にいた時も連絡を取っていたけど「もうアカンわ、絶対に受からんわ」と言っても「面倒を見るし、頑張れ、頑張れ」と言ってくれていたから、すごくありがたい存在でした。せっかく取っていた免許も返して、アカンかったらどうしよう、という思いがすごくデカかったですからね。それで、圭太が「JRAを目指す」と言った時も、ものすごく嬉しかったし、メッチャ頑張ってほしいなと思って、今も世話もしているけど、僕からしたら本当に恩返しやね。だから、地方の時から中央に乗りに来た時も、僕は先にJRAへ入っていたから、調教師にお願いして……。
-:山内厩舎に乗っている理由は、そんな経緯があったと。地方在籍時代といえば、安田記念のコンゴウリキシオーなどに乗っていましたね。
川:そうそう。今だから言えますが、本当は石崎(隆之)さんだったんですよね。石崎さんが乗るのを圭太に替えてくれたんですよ。本当にウチの厩舎に来た時、みんなかわいがってくれるよね。圭太も「感謝している」と言うもんね。僕のロッカーにヘルメットとムチを置いているから、栗東に来たら、ウチに絶対に来るもん。バイクも僕のバイクに乗っていくから、絶対に顔を出すんですよ。
プロフィール
戸崎 圭太 - Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗、初勝利を飾るなど若手時代から存在感を放っていたが、本格的に頭角を現したのは08年で306勝をマークし、初めて地方全国リーディング獲得した頃から。次第に中央競馬でのスポット参戦も増えていった。
11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初のJRAG1勝ち。その名を全国に知らしめると、中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を2度目の受験。自身3度目の挑戦で晴れて合格し、13年3月から中央入りを果たした。移籍2年目はジェンティルドンナで有馬記念を制す劇的な幕引きで初の中央リーディング(146勝)を獲得。16年も開催最終週までにもつれた争いを制し、3年連続のJRAリーディングに。史上初となる制裁点ゼロでのリーディングだった。19年にはJRA通算1000勝を達成、史上4人目のNARとのダブル1000勝となった。プライベートでは2022年より剣道道場・川崎真道館道場の総代表を務めている。