'14~'16年とJRA最多勝利騎手&MVJに輝いた戸崎圭太騎手による、大井競馬在籍時代から続く
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【番外編】イベントレポート(最終章) 日本ダービー2着惜敗の舞台裏を語る!
2018/8/1(水)
長らく続いたイベントレポートもこれで最終章。エポカドーロと挑んだ日本ダービー(G1)についてのエピソードとなる。実力に疑問視をする声、距離、初コース、タイトなローテーション、外枠、当日の装鞍所でのアクシデントなどあらゆる条件を乗り越え、2着とはいえど、ダービーでも好走した要因とは。後日談だから明かせる話題も踏まえ、振り返ってくれた。
【番外編】Q&A イベント来場者から寄せられた全30の質問に回答
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MC・水上学:2冠を目指して臨んだ日本ダービー(G1)ですけど、個人的な話ですが、私は予想を出す立場でこれは正直、謝るしかありません。ナメていました。本当にすいません。距離もそうですけど、東京の直線が長さはどうなんだろうと。
戸崎圭太騎手:僕もそうですが、エポカドーロ(牡3、栗東・藤原英厩舎)に謝ってください(笑)。
水:本当に△三角しか打てませんでした。私だけではなくて、軽視した人は多かったと思うのですが、4番人気とはいえ軽く見られ過ぎているんじゃないかと思いつつ、この印しか打てませんでした。戸崎さんは皐月賞が終わった時点で、ダービーも問題なく臨めるぞ、という感じでしたか?
圭太:いや、そうではなかったです。だから、僕もエポカドーロに謝らないといけないですね(ニヤリ)。
水:それはやっぱり距離が理由ですか?
圭太:そうですね。さっきも言いましたけど、やっぱり距離の不安は、血統の部分でどこかで出てくるんじゃないかなという思いがありましたので。
競馬ラボ小野田:ただ、僕の感触ですけど、いつもの疑っている感じとはちょっと違いましたからね(笑)。この馬の関しては、皐月賞~ダービー間に10回くらい話を聞きましたけど、何か一発やるんじゃないか。そう感じていらっしゃるのかな、とも思いました。
圭太:それもありました。皐月賞よりは期待をもって臨みました。
水:レース当日にパドックで跨ってみて、鞍の嵌まり方はどんな感じだったのですか?
圭太:またさらに皐月賞よりも良かったですね。僕は知らなかったんですけど、装鞍所からパドックに出てこなかったみたいなので、苦労したみたいですね。
小:パドックで出てくるのを待っていて、出てこないと聞いた時に、この血統なので、ああ今日はダメかと思いましたね…。
水:テンションはオルフェーヴルもそうですし、ダイワパッションもそうですから、実際に暴れた訳ではないみたいですけど「装鞍所で機嫌を損ねて動かなかった」という話ですね。
小:厩舎の人に聞くと「競馬場に行ってからはそういうところはないけども、(普段は)そういう性質がある」と言っていましたからね。
水:だけど、実際にパドックで跨ったら、全然そんな不安はなかったと。
圭太:ないですね。
水:当然、戸崎さんが不安を持っていらっしゃったくらいですから、距離に関しては、藤原先生は何かおっしゃっていましたか。
圭太:いや、特に何も言っていないですね。
水:色々細かく指示をされた方が乗りやすいのか、あるいは自分の感性に任せて、好きに乗った方が乗りやすいのか、その辺の話はいかがですか。
圭太:僕は指示を出された方が乗りやすいですね。だけど、全部が全部そうではなく、バランスが大事だと思いますけど。
水:ちなみにダービーの時というのは、皐月賞が特殊な展開になったこともあって、逆に差し損ねたワグネリアン、キタノコマンドール、グレイルといった馬が注目されて、むしろそっちの方に人気がいったところもあったんですけど、エポカドーロのことを考えた場合に、戦前、戸崎さんはどの馬が気になっていましたか?
圭太:一番はキタノコマンドールですね。
水:それは、後で皐月賞のレースをご覧になって、この馬は本番では怖いぞ、と。
圭太:そうですね。ただ、怖い何も、エポカドーロの方が前にいますからね。気にしても仕方ないですよね。
水:結果的に勝つことになるワグネリアンについては、どう思っていたのですか。
圭太:もともと、能力の高い馬で、この世代では一番の馬なのかなと思っていたので。ただ、皐月賞を終えて、思ったほどでもないのかなとは思ったのも事実です。ここに来てパフォーマンスを見せましたし、福永祐一さんが完璧に乗ったなというのは、レースが終わってから思いましたね。
小:皐月賞前はワグネリアンと同じレースに乗っていたこともあり、かなり手強いと評していましたね。
水:レースでは6枠12番ということで、今までよりもちょっと外目でしたけど、この枠は前に行きたいエポカドーロにとってはどうだったのですか。
圭太:もう少し内の方がレースはしやすいなと思っていましたね。
小:僕も何度か話を聞いていく中で、枠もやっぱり内がほしいとは僕も意見は一致していましたけれど、さすがにダノンプレミアムに最内枠をとられるとは。これは難しいかなと思いましたね。
水:ここではハナを切るということになりましたが、このハナを切ったというのは理想だったのですか。それともプランとしてはちょっと下の方に置いておいたりしたものですか。
圭太:あんまりプランのことを言うと、藤原先生の作戦がバレてしまうので…(笑)。
小:僕も終わった後に同じことを聞きましたからね。
圭太:何と答えましたか。
小:「そうじゃないんだよ、逃げるんじゃなくて」と。
「ハナは取りに行きましたね。ただ、それは最後までずっとハナというつもりでもなかったですし、色々と面白い作戦だったんですよね」
水:この時は無理にハナに立った訳じゃないんですね。
圭太:取りに行きましたね。ただ、それは最後までずっとハナというつもりでもなかったですし、色々と面白い作戦だったんですよね。
小:このコメントから作戦を推測して欲しい感じですよね。
水:5ハロン通過が60秒8で、決して速いペースではないですよね。上手いこと息が入ったなという感じがしましたけど、実際にどうでしたか。
圭太:いつもは常に乗りやすくて、リラックスして走ってくれるんですけど、ダービーに関してはそれ以上に馬も良くなって、前向きさも出ていたので、いつもよりも少し力ませてしまったなというのはあります。
水:残り400を先頭で通過して、ここで後ろを離しかけたところもあって、ダノンプレミアムの前に出て、これは敢えて意図的に蓋をした訳じゃないんですよね。
圭太:ダノンプレミアムが後ろにいることは分かっていましたので、スムーズに道を空けてしまっても、というのは頭にはありましたね。
水:ここで勝ったと思ったんじゃないですか。
圭太:いや、G1ですから、ゴールするまで分からないですね。
小:それも僕は言われましたね。この春、何回言われたか分からない。「G1は終わってみないとわからない」と。その都度、「スミマセン」と。
水:ジョッキーの方には、やっぱりダービーという特殊な意識があるんじゃないですか。
圭太:この日本ダービーが終わってから、改めて強く思いましたね。
小:今年はやっぱり期待はあったと思いますけど、やる前はそこまですごくダービーに固執されている感じはなかったのかなと思うので、終わってから「勝ちたいと強く思うようになった」という心境の変化が、戸崎騎手を応援している人、追っ掛けている人には楽しい部分なのかなと。何かオッと思うところもありましたね
水:ゴール前を観ると、安田記念のリプレイみたいな感じでしたね。
圭太:もうちょっと頑張れということですよね。
水:さっき「普段の行いが悪いから」ということでしたけど、普段の行いが悪いからじゃないですか!?
圭太:反省しています(笑)。
水:ただ、落鉄はジョッキーがどうのこうの言える次元ではないですもんね。
圭太:いや、そう簡単にも言えないので、やっぱり悔やまれるし、残りますよね。気を付けないといけないなと思います。
小:でも、気を付けると言って、具体的にどんなことろに気を付けるのですか。
圭太:落鉄しないように乗る。やっぱりバランスだったり、進路の取り方だったり、ちょっとしたことで外れてしまうことがあるので、その辺は気を付けて乗れば、防げるところも…。まあ、難しいのも事実ですけど、防げなくはないと思いますので。
水:ちょっとさっきの話に戻りますけど、内を空けてダノンプレミアムに出されちゃいけないということで、内側に入っていって閉めて、外からワグネリアンが来ましたよね。外からワグネリアンが来たのが分かったのは、ゴール手前ですか。
圭太:ダービーに関しては、何が来たか分からなかったですね。
水:でも、何か来たなというのは分かる訳ですよね。
圭太:そうですね。
水:それがワグネリアンだと言うことは、ゴールに入ってから分かったということですね。レース後、福永騎手に対して何かコメントはしたのですか。
小:握手していましたね。
圭太:僕は、来年勝ちたいなという気持ちが芽生えたので、祐一さんに握手しに行って、「来年は僕が」という意味で、握手に行きましたね。
水:それが福永さんに伝わったかどうかは別にしてということですね。
圭太:はい。
水:格好良いですね。爽やかですね。
「祐一さんもずっとダービーを勝ちたいと言われていましたからね。負けはしたんですけど、僕の中ではちょっと良かったなというか、嬉しさみたいな思いもありましたね。だからこそ、“次は自分が”という思いが芽生えました」
圭太:祐一さんもずっとダービーを勝ちたいと言われていましたからね。負けはしたんですけど、僕の中ではちょっと良かったなというか、嬉しさみたいな思いもありましたね。だからこそ、“次は自分が”という思いが芽生えました。
小:このレースの後にちょっとしゃべらせてもらったんですけど「勝負は甘くないんだよ」と言われましたね。
水:今はこうやって爽やかに言われていますけど、けっこう悔しがっていたのですか。
小:悔しいのとはちょっと違うんですけど、僕は勝ったのかと思ったという話をしたら「そんなに甘くはないんだよ」と言って「ダービーじゃなく、平場でも一つ勝つことは大変なことなんだよ」と説かれました。
水:ご自分に言い聞かせていたのかもしれないですね。
小:そうかもしれないですね。
水:本当に惜しい一戦だったというのはありますけど、その時のレース後のコメントが「デキはとても良かった。もう少しペースを落とせれば…」というコメントだったんですけど、今でもその気持ちは変わらないですか。
圭太:そうですね。ペースを落とすのと、その中で馬をリラックスさせられれば…。このペースでも力んでいたくらいなので、そこのちょっとしたアプローチの仕方が今後、自分の中で課題になってくるのかなというのはありますね。
「バランスが難しいところで、僕がやれる精一杯の中では、あのペースが最大限に落とせたペースなので」
水:あれ以上、抑え込んだら抑え込んだで、折り合いがというのがあるのではないですか。
圭太:そうですね。バランスが難しいところで、僕がやれる精一杯の中では、あのペースが最大限に落とせたペースなので。
水:でも、本当に「距離が…」という話を散々されていながら「ハナを取りに行った」とおっしゃったんで、そこのところですよね。その辺りの意識というのが、勝負師の面白い決断なんだなと思ったのですが。
圭太:そこは先生の力もあるので。僕がポッと乗せていただいて、レースに臨んだら、多分ビビってハナには行けないですよね。
水:逆にペースを落とすことによって、距離を持たせるという考え方もありますもんね。
圭太:そうですね。
小:早い話ですけど、菊花賞の距離はどうでしょうか。
圭太:大丈夫です(笑)。
小:今のは、ちょっと怪しい言い方ですけどね。
圭太:(キッパリと)大丈夫です!
水:でも、まずは夏を無事に越すということで。まだ秋のローテーションは伺っていないのですか。
圭太:一応、神戸新聞杯から菊花賞ですね。
水:ちなみに神戸新聞杯はダービー連対馬がほぼ100%勝つみたいなレースなので、神戸新聞杯はもらったも同然ですね。
圭太:ハハハ、今からプレッシャーを与えるんですね(笑)。
水:絶対に大丈夫です。京都に行っての3000mというところも、地元の競馬ということになる訳ですけども、2度の坂の上り下りなどもあるし、割と時計が出る秋の京都ですし、難関はあるなと思いますけど、話が早いんですけど、どうですか。
圭太:この馬は、本当に思っている以上に能力を発揮してくれる馬なので、自分が思うことよりも馬を信じて、乗れたらなと思いますね。
水:G1を中心に、今年の上半期の戸崎さんの騎乗を振り返ってきたんですけど、今年はこのG1に限らず、トータルの上半期について、ご自分で自己採点するとしたら、100点満点でどれくらいあげても良いかなと思いましたか。
圭太:点数ですか。難しいですねぇ。
水:常にベストを尽くすから、付けられないと言われればそれまでですけど、無理に付けていただいたら。
圭太:85点。
水:その-15点というのは。
圭太:まだまだたくさんやれることがありながらも、自分のやれることは精一杯やってきたつもりなので、そこは自分で評価しても良いのかなと。
小:そういわれるのも珍しいですよね。「納得いっていない」と言われるのも口癖のように聞くので。
水:1回目のトークショーに出ていただいた時かどうか忘れてしまったんですけど「夏は海外に行くチャンスがあれば、乗ってみたいな」という話をされていた記憶があります。具体的に夏が近付いてきて、今年の夏競馬は国内ですか。
圭太:はい。海外は辞めました。そんなところじゃなかったです(苦笑)。
水:第二部の戸崎圭太トークショーはこれにて終了でございます。みなさん、戸崎騎手を拍手でお送りください。
ファン一同:(拍手)パチパチパチ。
圭太:どうもありがとうございました。
水:これからも活躍を期待したいと思います。ありがとうございました。
小:夏もコラムを通じて、戸崎騎手の声を発信していければと思います。僕からもよろしくお願いします!
圭太:よろしくお願いします!今日はありがとうございました!
▲イベント終了後はお楽しみプレゼント抽選会を実施!
当選者には戸崎騎手直々にプレゼントが手渡しされた。
▲その後はファンの方々から持ちきれないほどのプレゼントをいただく戸崎騎手
プロフィール
戸崎 圭太 - Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗、初勝利を飾るなど若手時代から存在感を放っていたが、本格的に頭角を現したのは08年で306勝をマークし、初めて地方全国リーディング獲得した頃から。次第に中央競馬でのスポット参戦も増えていった。
11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初のJRAG1勝ち。その名を全国に知らしめると、中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を2度目の受験。自身3度目の挑戦で晴れて合格し、13年3月から中央入りを果たした。移籍2年目はジェンティルドンナで有馬記念を制す劇的な幕引きで初の中央リーディング(146勝)を獲得。16年も開催最終週までにもつれた争いを制し、3年連続のJRAリーディングに。史上初となる制裁点ゼロでのリーディングだった。19年にはJRA通算1000勝を達成、史上4人目のNARとのダブル1000勝となった。プライベートでは2022年より剣道道場・川崎真道館道場の総代表を務めている。