'14~'16年とJRA最多勝利騎手&MVJに輝いた戸崎圭太騎手による、大井競馬在籍時代から続く
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リハビリにも進展 フェブラリーSは盟友たちにエール
2020/2/21(金)
復帰へ向けて、また一つステップアップ。浜中騎手、三浦騎手、蛯名騎手、昨秋から相次ぐ落馬事故にあった騎手の復帰予定が表明される中、今週から故障箇所への負荷を掛けるトレーニングがスタートできたという戸崎騎手。具体的な復帰時期こそ明言できない状態ではあるが、いよいよピッチが上がってきたといえるだろう。また、縁のある人馬が挑むフェブラリーSについても語ってもらった。
-:本日もよろしくお願いします!まずはこの1週間の容態、経過から伺いたいと思います。先週は屋外トレーニングを一旦中止という誤算もあったと思いますが、今週はいかがでしょうか。
圭太:毎日可動域を広げるためのリハビリは続けているところですね。それと、お医者さんの診察を受けて、右腕にも負荷を掛けていいとなりました。まだゴムチューブを使う程度ではありますけどね。
-:おお~それは大きな進展じゃないですか?今までもリハビリといっても、正直、肘の曲げ伸ばしという段階だったと思いますから。
圭太:3ヶ月腕を使えなかったですからね。まだガシガシと動かすわけではありませんし、段階を踏んでいくレベルではありますが、徐々に上がっていると思います。
-:先週はランニングを始めたものの、一度止めたという誤算もありましたが、そちらはどうなりましたか。
圭太:まだ走ることへの怖さはありますが、感覚的には今なら大丈夫だと思います。ストレッチも重ねたことでほぐれてきた感じはありますからね。3ヶ月何もしていなかったところでしたし、最初は負担が大き過ぎたのでしょう。今なら大丈夫なんじゃないかと。
▲今週のフェブラリーSには過去2年で手綱をとったサンライズノヴァも出走
-:僕も体を動かさないところから、いきなり走る時のしんどさは一般成人男性並に辛さを味わったことはあります(笑)。ただ、大怪我や手術明けですし、すぐに走るのは厳しいんじゃないかと思っていました。
圭太:走ることってトレーニングの基本というイメージはありますからね。皆さんもこれから体を動かそう、というときにすぐに沢山走るのは気をつけた方がいいですよ(笑)。思っていた以上に走ることは大変だと感じました。
-:このところ、新型コロナウイルスなりが話題ですが、例年だったらインフルエンザも流行っている時季ではあります。怪我以外の体調面は大丈夫ですか。
圭太:大丈夫です。ただ、ちょっと前は夕飯を食べると、疲れでクターっとしてくるところがあって。今はないんですけどね。
-:日々、仕事をされている時でも、疲れたという言葉は無縁じゃないですか。
圭太:普段言うことが少ないですねえ。やっぱりトレーニングを始めた頃で今までより体が出来上がっていないんだと思いました。
-:体の痛みなども口にされることは少ないでしょうが、休養期間中、普段より体が凝ったり、曜日感覚がズレたりなんてことはどうですか。
圭太:体の方はトレーニングのし始めで今まで感じていなかった痛みなんかはありましたね。曜日感覚については、毎週スケジュールを組んでいるので大丈夫ですね。普段も寝すぎてしまうくらいだったし、今はむしろよく目が覚めるほどで。
-:先週の競馬でいえば、クイーンC(G3)のマジックキャッスルはこれまで3度乗られてきましたが、強い内容でしたね。
圭太:惜しかったですね。一頭だけ追い込んできましたし、能力を改めて感じさせる内容でした。
-:未勝利馬ですが、サトノアレックスは休養して成長しているといった声も目にしていましたが、またも2着でしたね。
圭太:やっぱり若さが残っているのかな…と。勝てるだけの能力はあるんですけどね。
-:今週は今年初のG1となるフェブラリーS 。ジョッキー的にはなかなか見どころのあるメンバーなんじゃないでしょうか。
圭太:そうですね(笑)。まず、サンライズノヴァには頑張ってほしいですね。
-:昨年はなかなかコンディションの問題もあったように思えますが、今年は臨戦過程が違いますね。
圭太:展開も重要な馬ですが、馬にとっては馬場が乾いていることも気がかりですね。湿った馬場の方が差しやすい馬なので。
-:陣営のコメントを見ていると、今まで乗られてきた戦法や見解と一致している感覚はありますね。あとは南関東勢ですね。
圭太:ノンコノユメ、ミューチャリー、モジアナフレイバー、3頭も出ますからね。しかも、南関東勢といっても同世代のジョッキーばかりですし、一段と頑張ってほしい気持ちは強いです。特にモジアナフレイバーは生え抜きの大井の馬ですし、ドバイにも登録しているようですし、ここまで着実にパフォーマンスを上げてきた勢いをみせてほしいです。
-:モジアナフレイバーはゴドルフィンマイルの出走が叶えば、同学年かつ地方競馬教養センターで半期違いの入学という繁田健一騎手は戸崎騎手よりも早く、ドバイでの騎乗となるわけですよね。そして、その裏の日曜京都メインの大和Sにはモンペルデュが出走しますね。
圭太:本当に無事にレースを使えること、復帰できたことが良かったです。レースに対する怖さが残っていないといいですが、ここまで立て直すことも大変だったと思いますし、復帰できることが何よりですよ。
▲モジアナフレイバーは戸崎騎手とも縁のあるチームで挑む
-:ここで読者からの質問ですが、「野球をやっていた頃は何投げ何打ちですか?」という質問です。
圭太:右投げ右打ちですね。
-:最近でこそ左打ちが増えましたが、一般的ですね。ちなみに、逆の手でスローイングすることはかなり難しいと思いますが、左ムチはやりづらくなかったですか。
圭太:全く。むしろ気にしたことないかなあ。たぶんデビューしたのが右回りの大井で左ムチを使うことが多かったからかもしれないです。左右の差はジョッキーとしては気にならなかったですね。逆に左回りで乗って、右ムチを使うことに違和感があったくらいで。
-:でも、投げる時だったら今なら左でも投げやすいんですかね?
圭太:いやあ、不格好になると思いますよ(笑)。特に競馬に関しては左右の違いは感じでないですよ。
-:続いて「休養期間中に自分のレースを見直すことはありましたか?」という意見です。
圭太:ありましたね。最近でこそありませんが、休み始めた当初はよくしていました。直近のレースや自分がポイントだと思って、撮り残していたレース。あの時はこういうところに気をつけて乗っていたんだなと思うことはありましたよ。
-:リハビリ関連でだんだんと明るいニュースも増えてきましたが、浜中俊騎手、三浦皇成騎手、蛯名正義騎手などは復帰の目処も立って、具体的な発表が増えてきましたね。
圭太:いや~良かったですし、自分も嬉しいですよね。
-:蛯名さんは同じような復帰時季なのかもしれないですね。
圭太:そうですね。ただ、先週も言ったように自分はハッキリしているわけじゃないですけどね。怪我をした当初は最大でも全治9ヶ月くらいになるかもしれないという話を聞きましたし、結局は全治半年くらいになるのかな。でも、今でもハッキリとわかりませんけどね。その中でゴムによって負荷を掛ける段階で力の使い方を思い出したりできています。やっぱり自分で腕の使い方を忘れていたんだなとも感じます。
-:しかし、普通の骨折だったとしたら、腕の使い方を思い出す、といった感覚は味合わないような…。それだけ普段、感覚も研ぎ澄ませているからじゃないですか。
圭太:いやいや、皆そうやってリハビリしていくものだと思いますよ。少しずつ自分の腕になってきている感覚はありますし、長くはなりましたが、復帰できるんだろうと思っています。まあ、コツコツとやるしかない。だから、競馬と似ていると思いますよ。自分の性分には合っているかもしれないですね。
-:一つ一つ、レースをしっかりこなしていくことと近いかもしれないですね。
圭太:ようやく状態は上がってきていますし、また怪我をした皆と一緒に乗りたいですね。程度の違いはあるものの、痛さ、辛さは僕もわかりますから。
-:怪我をしないことに越したことはありませんが、そこは経験できた甲斐でもありますね。ただ、周囲やモンペルデュの方が復帰は早いという…。本当にご自身や家族、医師の方々の苦労は大きいと思います。
圭太:繰り返しになりますが、これも復帰した時に活かしたいですね。
-:まだまだ先は長いと思いますが、復帰を待ちたいところです。今週もありがとうございました!
圭太:ありがとうございます。
※次回は2月28日(金)か29日(土)に更新予定です!
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keita_tosaki@keibalab.jp
プロフィール
戸崎 圭太 - Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗、初勝利を飾るなど若手時代から存在感を放っていたが、本格的に頭角を現したのは08年で306勝をマークし、初めて地方全国リーディング獲得した頃から。次第に中央競馬でのスポット参戦も増えていった。
11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初のJRAG1勝ち。その名を全国に知らしめると、中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を2度目の受験。自身3度目の挑戦で晴れて合格し、13年3月から中央入りを果たした。移籍2年目はジェンティルドンナで有馬記念を制す劇的な幕引きで初の中央リーディング(146勝)を獲得。16年も開催最終週までにもつれた争いを制し、3年連続のJRAリーディングに。史上初となる制裁点ゼロでのリーディングだった。19年にはJRA通算1000勝を達成、史上4人目のNARとのダブル1000勝となった。プライベートでは2022年より剣道道場・川崎真道館道場の総代表を務めている。