1985年の2冠馬ミホシンザンが死亡

戦後初の3冠馬シンザンの仔で、1985年の皐月賞、菊花賞、1987年の天皇賞(春)などを勝ったミホシンザン(牡32)が4日朝、余生を送っていた北海道浦河町の谷川牧場で病気のため亡くなった。32歳だった。

同馬は4戦無敗で1985年の皐月賞を制覇。その後、骨折が判明してダービーを断念。復帰初戦となったセントライト記念で5着と敗れ、連勝はストップしたものの、続く京都新聞杯、菊花賞を連勝、有馬記念でもシンボリルドルフの2着に入り、シンザンの最高傑作と呼ばれる大活躍を見せた。
旧5歳時は5戦して4度の3着が最高と勝ち切れなかったが、年が明けてAJCC、日経賞、天皇賞(春)を3連勝。結果的に進路妨害で失格となったが2位入線したニシノライデンとの写真判定はオールドファンの語り草となっている。

天皇賞の後に体調を崩してそのまま引退。種牡馬入りし、2年目にNHK杯を勝ったマイシンザンを送り出したが、G1を勝つ仔は現れず2002年に種牡馬も引退。その後は35歳で亡くなったシンザンと同じ谷川牧場で余生を過ごしていた。

【谷川牧場代表取締役社長 谷川貴英氏のコメント】
「父のシンザンが種牡馬を引退した翌年から谷川牧場で種牡馬生活をスタートさせた馬で、思い出に残る一頭です。最近足腰が弱ってきており、広い放牧地から厩舎そばの放牧地に移動しておりましたが、今朝眠るように息を引き取りました。
父シンザンに肩を並べるくらいまで長生きして欲しかったのですが、残念でなりません。応援してくださった方々に、この場を借りてお礼申し上げます」

ミホシンザン(牡32)
父:シンザン
母:ナポリジョオー
競走成績:16戦9勝
主な勝鞍:
1987年 天皇賞(春)(G1)
1985年 菊花賞(G1)
1985年 皐月賞(G1)
1987年 日経賞(G2)
1987年 アメリカJCC(G2)
1985年 京都新聞杯(G2)
1985年 スプリングS(G2)

受賞:
1985~7年 最優秀父内国産馬
1985年 最優秀4歳牡馬