海外経験を糧に時代を牽引した 先駆者・鈴木康調教師
2015/2/22(日)
調教師を継ぐことにした理由
-:本日は先生の競馬人生を振り返っていただければと思います。よろしくお願いします。まず、先生がこの世界に入ったキッカケからお聞かせください。
鈴木康弘調教師:僕は最初、この仕事を憎んでいたんですよ。というのは、小学校の時に運動会などかがある度に、父が来てくれないわけです。僕は運動がすごく万能だったものだから運動会は見せ場だったわけ。でも、昼食はいつも母と2人でした。「お父さんは来ないの?」と聞くと「だって、日曜日は仕事でしょ」って。そういうのを繰り返している内に、こんな嫌な仕事はないな、日曜日に仕事で子供にこういう思いをさせるのは嫌だなと。絶対に、父と同じ仕事には就かないだろうという気持ちでいたわけです。
大学は早稲田に入って野球部に所属していたのですが、1年留年することになったんです。それを父に話したら「分かった。それで、どうするんだ」と言うから、「もう1年大学に行きたい」と答えたら「いいだろう。ただ、お前にやる時間は1年だけだぞ」って言われて、もう1年行ったんです。その時に思ったのは、あの当時は私立大学に行かせるだけで大変なのに、更にもう1年行かせてくれたというのは、父が仕事で頑張ってくれたからじゃないかと。それで、今まで憎んでいた仕事を反対に感謝して、僕は父親の仕事を継ごうと思ったんです。でも、そのことを父に話したら「お前じゃ勤まらないから辞めろ」と、すぐに断られました。
-:そうだったんですか。
鈴:父は調教師をやっていて色々な職業の人たちと付き合いがあったし、人が何を考えているか読めるところがあったんでしょうね。収入が多いという理由から僕が競馬の仕事に入ろうと思っていたのを父は読んだんです。その後も続けて断られましたが、4回目に行った時に「そうか。やってみるか」と、嬉しそうな顔をした記憶がありますね。その時に、頑張らなきゃと思いましたし、それで早くに調教師の試験に受かりました。
厩舎運営の基礎になったイギリス留学
-:先生は海外でも研修されましたよね。
鈴:2年の時間を費やして、イギリスの牧場に行ってきました。そこで確かに馬の勉強は出来ましたが、一番の収穫は、イギリス人の馬との触れ合い方、生活を見ていて、馬と生活することを選んで間違いなかったなと思えたことです。イギリスに行く前には、サラリーマンで大きな派閥の中でやってみたいという気もあったわけですが、完全に馬と生活していく気になりました。
-:そうなんですね。イギリス留学の経験は、先生の気持ちが固まったとともに、調教師としてやっていく中で根っこの部分になりましたか?
鈴:そうですね。最初にゴム腹を使ったのも僕ですし、ラグを着けたのも僕。当時は、先輩から「馬がビックリするから止めろ」と怒られましたよ。馬の扱い方も飼育も今とまるっきり違いましたから。例えば、ヨーロッパの馬ってメンコを着けてないじゃないですか。メンコは音がうるさいから着けるんじゃなくて、大体は厩務員が馬を余しているから着けるわけです。馬を黙って見ていると、カイバを食べていてコトッと音がしても馬は見ない。まずは耳をそっちに向ける。おかしい、異常があったなと思った時に初めてカイバを止めて見るわけ。それほど最初に動かすものを覆っていいものなのか。それから、馬は耳の根元を濡らしておくと風邪を引くわけでね。それほど敏感なところを覆っていいのかなと。ヨーロッパでは覆っていませんでしたし、ウチの厩舎では途中から一切メンコはなし。うるさい馬でも、メンコなしで大人しくなるように、毎日着けないで調教しています。人間だってメンコのようなものを着けられたら嫌でしょう。
「開業した当時に、人間がやられて嫌なことを馬にやるのは止めようよ、とスタッフに話しました。日本人は馬を怒りますし、良いことをした時に褒めてやる習慣がありませんね。子供を育てるのに、これはダメと言うより、良いところをドンドン褒めてやる。それの方がずっと伸びますよ」
-:なるほど。馬を育てていく中で、人間の立場に立って考えて、これをやられたら嫌だろうな、ということは出来るだけしないように気を付けているのですね。
鈴:開業した当時に、人間がやられて嫌なことを馬にやるのは止めようよ、とスタッフに話しました。メンコもそのひとつですし、馬を怒るのもひとつ。怒る前に馬を褒めてやる。日本人は馬を怒りますし、良いことをした時に褒めてやる習慣がありませんね。やっぱり動物は褒められることの方が覚えるし、怒るということはそれに対して反感するだけですから。人間もそうなんですけどね。子供を育てるのに、これはダメと言うより、良いところをドンドン褒めてやる。それの方がずっと伸びますよ。僕は調教師試験に受かった時に、まず作るのは人だなと思いました。馬は買えるけど、人は買えない。それで、人作りを始めました。最初の5年間というのは、それこそオーナーに馬を買ってもらうとか、そんなことは考えませんでしたね。
-:そうなんですね。ちなみに馬を買うという段階になったとき、先生はどういう点をチェックされていましたか?
鈴:まず馬の流れを見ます。肩甲骨がどのように寝ているか。肩甲骨が寝ているということは、前脚が伸びるから着地が遠くに行くし、遠くに着地した方が馬は速く走れますから。それから、眼、頭、耳、それから、鼻、口。総体的に全部見ていって、この馬は良いんじゃないかなという感じです。だけど絶対に良いということはないから、「これなら走ります、大丈夫です」という言い方ではなく、「これなら大丈夫だと思います」ということでオーナーに話しますね。
鈴木康弘調教師インタビュー(後半)
「運命を感じたダイナフェアリー」はコチラ⇒
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アデイインザライフと鈴木康師
プロフィール
【鈴木 康弘】Yasuhiro Suzuki
調教師である鈴木勝太郎の長男として生まれる。学生時代は持ち前の運動神経を活かし、早稲田大学でも野球部にも所属した。同期には東京オリオンズで活躍、後に千葉ロッテマリーンズの監督も務めた八木沢荘六がいる。
競馬の世界を志したのは大学卒業時。学費を払えていたのは父親のお陰と感じ、後を継ぐことを決意。その後、イギリスへの留学を経て、調教師に。欧州の最先端の馬作りを日本の競馬界に持ち込んだ、まさに先駆者として台頭した。主な活躍馬はローゼンカバリーやダイナフェアリーなど多くの重賞馬を輩出したが、惜しくもG1には手が届かず。1994年から10年間、日本調教師会会長を勤めるなど、日本の競馬界に多大な貢献をしてきた。
1944年東京都出身。
1976年に調教師免許を取得。
1976年に厩舎開業。
初出走:
76年12月4日5回中山1日目2Rロアプランタン
初勝利:
76年12月25日5回中山7日目6Rセントスキー