元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
波乱
2015/7/2(木)
さて、競馬界のワールドカップならぬ日本競馬界カップのひとつ、ファンの皆様の投票で出走馬が決まる宝塚記念が阪神競馬場で行われました。ファン投票で見事に一位を獲得したゴールドシップが1番人気に推奨され、2番人気にはキズナを倒し、女王へと君臨できるかとラキシスが選ばれました。そして、大声援の中、スタート直後にはゴールドシップが立ち上がり、大きな出遅れをしてしまいましたね。前走でもゲートに問題があり、今回は不運なことに奇数番ということもあり先入れとなりましたしね。私個人としては、ゲート再試験時には隣に馬を入れる必然性がないことや馬の性質を考えてもゲートで縛る練習はあまりやってなかったのでは?と思ってしまいました。
しかし、それだけ諸刃の剣でもあるゴールドシップの荒々しい性格をコントロールするのは教育し、押さえつければ走らないしと、難しいところではありますからね。そんな波乱の中、鞍上の典ちゃんも馬の走る気がなくなったのを察したのか、全くおっつけることなく乗ったのにはガッカリしましたね。勿論、馬のことを考えての騎乗だったとは思いますが、ファンが選ぶ一位だけだっただけに少しは取り返す姿勢を見せて欲しかったのも事実です。そんな中、先行馬有利の内回りで絶妙な位置取りをしたのがトーホウジャッカルの酒井君とラブリーデイの川田君、ショウナンパンドラの池添君でしたね。この三人は本当にこのレースを分かっている乗り方をしたと思います。
勝利したラブリーデイは遅くなったペースや重くなった馬場も味方しましたね。勝つ時というのは、本当に全てが上手く噛み合うのですが、正に今回はラブリーデイと川田君にツキが回ったように思います。そして、2着に入ったデニムアンドルビーは力のあるところを見せてくれましたね。先行馬有利の展開の中、後方で脚を貯めることに専念し、一か八かの騎乗をしたことは、負けはしましたが浜中君の好騎乗だったと思います。そして、負けはしましたが、サッカーの様にMOM(マンオブザマッチ)を選ぶとすれば、間違いなく池添君だったと思います。勝たなければいけない優勝劣敗の世界ではありますが、今回の3着は間違いなく彼のおかげだと私は思います。
夏前のグランプリが終了し、とうとう日本競馬は夏競馬へと入ります。会場も福島、函館、中京へと舞台を替え、新馬たちも続々とデビューをしてきます。そんな開幕週を迎える中京ではスプリンターズSに向けてCBC賞が、そして福島では最後の一冠を目指しラジオNIKKEI賞が行われます。両レースともハンデ戦ということもあり馬券が荒れるだけに、非常に楽しみなレースになっています。
CBC賞ではダンスディレクターに注目が集まるのではないでしょうか?スプリント戦を3戦し、全て連対している実績とハンデもプラスに向きそうですしね。その他には、弟の活躍で刺激されるかサドンストームに、桜花賞以来のコンビ復活で期待がかかるレッドオーヴァル、そして、宝塚1・2着を制した金子オーナーのウリウリと注目馬が多い中、私のイチ押しはベルルミエールです。今回は斤量も良くなりますし、川島騎手の久しぶりの重賞制覇に期待したいからです。その他には、スタートに難はありますが直線が広い中京だけにダンスディレクターからも目が離せません。そして、ラジオNIKKEI賞ではアンビシャス 対 堀厩舎の2頭に注目しています。夏競馬の始まりを告げるハンデ戦、皆様の注目はどの馬ですか!?
今週はもうひとつ、残念なニュースが流れましたね。2015年牡馬クラッシック2冠のドゥラメンテが骨片により、話題にされていた凱旋門賞と菊花賞どころか、秋競馬から姿を消しました。非常に残念ではありますが、日本競馬の宝としても、ここはゆっくり休んでもらい、馬の体調を常に考える堀先生のマジックで休む前よりも強くなったドゥラメンテに期待しています。
土曜日のレース中にそのニュースが流れ、インターネット上にミルコのコメントも出ていましたが、あまりに失礼な記者がいると思いました。開催日中、騎手は常に、騎乗する馬と向き合っていかなくてはいけません。そして、公平さを保つために他の情報を遮断されます。それにも関わらず、記者の安易な考えで、ましてやG1を控えている騎手に聞くのは本当に失礼です。もう少し、考えて対応して欲しかったと思います。
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。