元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
Good Morning
2016/2/4(木)
しかし、一流選手というのは、やはり相当な精神力が必要とされますね。昔ではサッカーのマラドーナも、自身のプレーひとつで試合を決める能力があり、色々なプレッシャーに耐えることができず、覚せい剤に手を染めましたからね。一流であるが故の精神問題ですね。しかし、だからと言って容認できることはありませんし、薬に手を染めることなく、一流として輝くことを、ただ、ただ、これからのスポーツ選手に望みます。
ちなみに、騎手は毎週の様に採血検査があり、アルコールや薬などの異常がないかを検査します。その様にして徹底的な管理をしています。そんな、一流の馬乗り!と競馬の話に参りましょう。先週は、東京と京都で重賞競走が行われました。根岸Sでは1番人気に推奨されたモーニンと戸崎騎手が見事なレースレコードでの勝利を飾りました。レースも、東京ダートを熟知したような運び方で、じっくりと砂をかぶらない位置につけると直線に入り、上手く手前を替えてGOサインを出すと、そのままの押し切り勝ちは、貫禄の勝利だったと思います。
見た目以上に長い直線がある、東京でのこの勝ち方は難しく、それを意図も簡単にやってのけたコンビは新しい台風の目になったことは間違いありません。石坂厩舎と戸崎君は本当にハイアベレージで結果を出しているだけに、本番でも注目しなくてはいけませんね。まだ、騎乗をベストウォーリアにするのか、中2週で挑むモーニンに騎乗するかは決めかねているみたいですが、どちらにしても目が離せませんよ!!
京都で行われたシルクロードSは、枠が全てだったという結果となってしまいましたね。今まで行われた同レースで一度も勝ち馬がいない大外に入ってしまったビックアーサーが5着に敗れたなか、2強の内の一頭、浜中君騎乗のダンスディレクターが今までの鬱憤を晴らすような競馬で優勝しました。今までも能力としては重賞、もしくはG1を獲っていてもおかしくない馬でしたが、今回は課題のスタートを決めたことで、好位置が取れましたし、何より京都の1200mで内枠を引けたことが全てだったのではないでしょうか。今までのレースを考えると、詰まってしまうのでは?と、頭をよぎりましたが、勝つ時はこんなもんですね。全ての道が開け、まるでロジクライで勝利した時のようにインから抜け出して勝利を決めました。あそこまで、よく浜中君が我慢しましたね。
5着に敗れたビックアーサーは、枠の他に馬場も合いませんでした。雪予報だった中で降った雨の影響により、芝は緩くなっていましたし、軽いフットワークのこの馬には少し不利になってしまいましたね。内回りということもあり、外から中に入れることもできなかったのは少し可哀想でした。次走はオーシャンSを予定しており、目に見えない疲れがあったとすれば、覚醒してくれるかも知れませんね。馬とは本当に難しいもので、休ませたら良い馬もいますし、継続して使い続けることで馬の体が仕上がっていく馬もいます。それを判断するにも次の走りに期待したいと思います。
さぁ今週は、2度目の5億円対決が京都競馬場で行われますよ!そうです、新馬戦でも注目を集めたサトノダイヤモンドとロイカバードが出走するきさらぎ賞があります。王者リオンディーズに挑戦状を叩きつけるためにも、ここは負けられないレースだけに、かなりの注目を集めています。勿論、私の推奨馬もサトノダイヤモンドになりますね。今までの2走を見ていても、まだ本気で走っていないところが見受けられますし、何より馬体が、まだまだ若い状態でのあの走りでしたしね。成長して出てくる今回は、更に期待できると思います。
それに割って入るのはロワアヴソリューになるのではないでしょうか。前走の新馬戦では、荒々しい性格が出てしまい、少し外を通りながらの競馬となりましたが、直線に入った時のスイッチは見物でしたね。あのペースで逃げて、終いも活かせるとなれば、今の京都の馬場を考えてもチャンスがあるのではと思っています。その他では、やはりロイカバードも気になりますし、新馬戦で見せた、あのキレ味が忘れられないレプランシュとなります。ノガロの才能も気にしてレースは見ていきたいと思います。そして、東京で行われる東京新聞杯では、ルパンが敗れた出走の後に逮捕!テイエムタイホーのサイン馬券にも注目していきましょう!!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。