元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
脩の週
2019/1/24(木)
皆様、こんにちは!アジアカップ盛り上がっていますね。サウジアラビア戦ではボール所持率が20何パーセントしかないなか、見事に勝ち上がったのは非常に大きな収穫だったと思います。見ているこちらからすればゴールがなかなか決まらず、ずっと攻められている試合だけに見るのは苦しかったですが、今までの日本代表であれば攻め込まれ点数を許し、結果得点も取り切れずに終わるという試合だったと思います。これこそが、日本代表の基盤が強くなってきている証だったと思います。まずはベトナムに勝って次に対峙するであろうイラン戦では、そんな基盤の強さにアクセントをつけた試合に期待したい、そう思います。
それでは先週の競馬の話にまいりましょう。私が気になったのは、中山競馬場で行われたAJCCです。ダントツ人気にあげられたのは、菊花賞馬フィエールマンでした。それに続くように中山巧者ジェネラーレウーノが選ばれました。そして、レース前日よりインフルエンザのため乗り替わりとなった戸崎騎手の代わりに、骨折明けで1年1か月ぶりのシャケトラには石橋騎手の代打が決まっていました。石橋騎手と言えばケガから復活しましたが、残念ながらフィエールマンが乗り替わりになり、悔しい思いをしていたと思います。そんな石橋騎手がこのレースでは見せてくれました。
レースはスタート後、ステイインシアトルがハナを奪う形となりました。1コーナーの入り方からも、ペースが落ち着いてしまうと感じました。ここで2番手を取ったのがジェネラーレウーノでしたね。田辺君としては「ヨシっいい所に入れた」と思ったことでしょう。しかし、ペースが落ち着いてしまったことで馬の良さを消されてしまった形となりました。ペースアップを図りたいジェネラーレウーノでしたが、道中で落ち着きすぎたため、なかなか動かすことは簡単ではありませんでした。
この馬の持ち味は早めの動き出しからの押し切りですが、自分から進むことが難しいように思え、ハイペースでないときの対応は騎手の技量によりますからね。このことにより、一気にレースは瞬発力勝負へと切り替わりました。こうなれば、フィエールマンかと思っていながら見ていた4コーナー。抜群の手応えを見せていたのはシャケトラと石橋君でした。そして、早めに抜け出すと、後ろから猛追してきたフィエールマンを負かし、見事なリベンジ勝利となりました。競馬の世界では乗り替わりは頻繁に行われ、当たり前であるのですが、やはり石橋君の立場で競馬を見たとき、本当に気持ちいい勝利だったと思います。
2着のフィエールマンはこのレースで坂があまり良くない印象を受けました。走り方に特徴のある馬で、能力はズバ抜けていますが、展開に加え勝負所でインに押し込めたマーフィーの匠な騎乗、坂とこの3点が今回、少し届かなかった原因だったと思います。しかし、負けてもなお力は本物というところを見せてくれましたし、今期の主役としても疑いようのない馬だと改めて確認できたレースだったと思います。
そんな熱い競馬は今週も続きます。雪予報がチラホラとあるなか、土曜日にはハンデ牝馬重賞の愛知杯が、日曜日にはシルクロードSに根岸Sと楽しみなレースが沢山あります。特に馬券を買う皆様にとって予想が難しくなるのが愛知杯だと思います。中京の馬場の特有さに天候もよめず、なおかつハンデ戦というのは非常に難しくなると思います。その中でも注目はノームコアが集めると思います。勝ち切れなかった能力馬がルメールとのコンビで覚醒。エリザベス女王杯では思った競馬ができずここに照準を合わせてきた、この馬としては負けられない一頭だと思います。ハンデも重賞勝ちがあるにも関わらず55キロで収まったのは、陣営としてはシメシメと言ったところだと思います。
それに対抗してくるのがレッドジェノヴァでしょう。この馬は大分前から注目していた一頭なのですが、常にいいレースをしてくれる馬だと思っています。さすがにワールドオールスターの際に、この馬がB判定にされていた時は「あれ?そんな馬じゃないよな?」と思っていましたが、私の勘が正しかったというのを、このレースでも見せてほしいと思います。その他にも能力は間違いないウラヌスチャームや軽ハンデのスカーレットカラーの切れ味に注目しています。荒れるハンデ戦でどのような結果が出るか、見事的中させてお年玉ならぬ遅れ玉を手にいれましょう!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。