元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
経験と努力の証
2021/6/2(水)
皆様、こんにちは!6月3日に予定されていたサッカー日本代表の試合が急遽キャンセルとなり、U24オリンピック代表との医療従事者のためのチャリティーマッチへと変更になりました。個人的にはジャマイカ代表との試合よりも興味を持てると感じてしまいました。黄金世代がオーバーエージ枠と交わり、A代表を倒してしまうのではないかと思っています。チャリティーマッチとは言えども予定していたテレビ枠での放送もあるとのことで、100%の試合を見せてもらいたいと思います。
それでは競馬の話をしましょう。先週は第88回 日本ダービーが行われました。1番人気に推奨されたのは、横山武史君とエフフォーリアのコンビでした。枠順発表から1枠1番と聞いた時、外からのプレッシャーや出られなくなる心配を若武者はどう対応していくのかと不安に感じていました。王者であるが故にレースがしにくくなるのではと思っていましたが、彼は果敢に挑戦者としてレースに挑んでいました。
スタートからポジションを取りにいくと、外からのプレッシャーもあり少し噛むところを見せたエフフォーリア。しかし、それをしっかりと抑え込み、直線では開いたスペースに導きました。完璧すぎるレースに、まだ20代ということを疑ってしまうほど素晴らしい騎乗でした。しかし、勝利したのは福永君とシャフリヤールのコンビ。道中から策士・藤原調教師と細かく決められた位置をしっかりと取り、直線では狭くなるところもありましたが、長く素晴らしい脚を使い見事差し切りました。
勝利した瞬間、私の中にはエピファネイアとキズナのダービーがフラッシュバックしました。上手く乗れなかったこともありましたが、福永君としては初のダービー勝利を目前で逃した経験を、まさか今度はエピファネイアの子供に自分の成長した姿を見せつけたからです。ワグネリアンのダービー制覇からコントレイルに続き、3回目のダービー制覇はこれまでの彼が積み上げてきた経験と努力が身を結んでいる証になったと思います。
福永君とシャフリヤールが迫ることで焦ってしまった部分があった武史君にとっては騎手人生で忘れられない時となったと思いますが、これが彼のこれからの成長への大きなポイントになると感じました。レース後、ルメールが肩をポンと叩き、川田君が優しくハグをしたという記事を読んだとき、間違いなくトップ騎手達が武史君の騎乗に対し、最高の評価とこれからの成長を感じたと思います。最高峰のレースに最高峰の馬に乗ることでしか得られない経験を得たのですから。非常に素晴らしいダービーを見られたなという印象を持ちました。
ここで競馬は終わりません。それは馬にとっても人にとっても同じです。わずか10cmで変わる運命。しかし、負けた意味をどう活かすか、勝った陣営も勝ったことで次をどう意味あるものにしていくかが大事になります。もう一度、この対戦を見たいと思わせてくれる最高のレースでした。そして、ダービーが終われば、次のダービー馬を探す2歳新馬戦が始まります。日本に横山武君のような世界に通用する若手がでてきたことも嬉しく思いますが、馬の世界で毎年のことですが、この時期はドキドキします。新たな怪物の誕生や日本にとどまらない馬が出てくるか、非常に楽しみです。
そんな新馬戦の開幕と同日に行われるのが安田記念です。今回は難しいレースになりそうです。圧倒的人気にはグランアレグリアが選ばれます。能力としては超超1級品ですし、圧倒的勝利をまたもや期待してしまいますが、ここで重なるのはアーモンドアイが負けた時の見えない疲労になります。中2週のレースがどう影響するのか、非常に不安ではあります。
2番手にはサリオスを応援したいです。マイルに戻りペースへの対応など課題はあるでしょうが、適性距離だと思いますし、広い東京はこの馬に合っていると思います。松山君にもここで勝利することで、もう1段上の騎手へとなってもらいたいという思いがあります。インディチャンプはここで能力の最終ジャッジとなりますし、絶好調ケイデンスコールの一発にも期待したいところ。ダノンコンビもいますし、まさに豪華な共演に楽しみばかりな週末になりそうです。さぁ、新たな幕開けです!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。