'14~'16年とJRA最多勝利騎手&MVJに輝いた戸崎圭太騎手による、大井競馬在籍時代から続く
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11月4日時点1555勝
10度目コンビで重賞初Vへ グランシルクとダービー卿CTに臨む
2017/3/31(金)
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-:先週のレースもお願いします。「熊野」特別のパフォーマプロミス(牡5、栗東・藤原英厩舎)は強かったですね。
圭太:そうですね(笑)!テン乗りでしたが、ここでは力が違いましたね。馬場ですか?確かに走りづらそうなところもなかったし、それも良かったのかもしれませんよ。
-:チュラカーギー(牝4、美浦・中舘厩舎)はアトランタ、ドラゴンゲートの外枠。これは並びからも、良いんじゃないかと思っていました。勝利まではあと一歩でしたが。
圭太:僕も並びをみて、ああいう形でいけるなら、巻き返せそうだなと思っていました。本来はそういうモマれ弱さも克服しなくてはいけないのかもしれませんが、あんな展開ならば、ここでもやれますね。
-:ネームユアポイズン(牡3、美浦・国枝厩舎)はここでは力が違いましたね。道中で動いて、ねじ伏せる強い競馬でした。
圭太:実は新馬の前に、追い切りで乗せていただいたことがあったんですよね。一度、使って結果は出ませんでしたが、返し馬から良い雰囲気を感じていましたよ。強気に乗っていけましたね。
-:さて、質問も幾つか届いております。まずはまるせりなさんから。「いつかいつか 私の地元の小倉競馬場 来てください(´;ω;`)」という質問ではなく、ご意見でした。
圭太:ですねぇ。食事も美味しいと聞きますし、是非、行きたいのですが……。なんか、競馬のことじゃなくなってますね(笑)。
-:続いて、圭太ラブさんより、「私は、戸崎騎手と同じ栃木県出身なのですが戸崎騎手の出身地である壬生町について詳しくありません。壬生町おもちゃ博物館は、何度か行ったのですが他にオススメの場所(遊び場やお店)ありますか?また、地元に帰ったら行く場所ってありますか?」とのことです。
圭太:壬生町かぁ……。う~ん、最近そんなに行かないからわからないかな。そもそもあんまり何もないと思いますよ(笑)。
-:僕も写真で観たことはあります。ただ、有名人の出身者は多いですよね。元AKBの方、斉藤和義さんとか。
圭太:斉藤和義さんは壬生町?そうなんですねえ。
-:アヤナさんからです。「私の仕事は体力仕事です。毎日身体が痛く、家でぐったりしてしまいます。戸崎騎手はレース後身体が疲れることはありますか?もし身体を休めるためのいいアドバイスがあれば教えてほしいです」という質問です。
圭太:(即答で)寝る!
-:まあ、たしかにそうですね(汗)。食事療法で疲れづらくなったとのことですが、いかがですか?
圭太:僕も前より疲れづらくはなりましたが、さすがに疲労感は出ますよ。あと、寝る前は自分がリラックスしてから寝たほうが睡眠も深くなるらしいんです。ストレッチなりやってみるのも良いんじゃないでしょうか?
-:ちなみに、今は平均してどれくらい寝られていますか?
圭太:7~8時間くらいですね。
-:しっかりとられていますね。同じ方から「私は戸崎騎手の応援幕を張っています。最近、戸崎騎手の応援幕が増えていますよね。でも、応援幕って嬉しいですか?あまり口になさらないので」という質問も来ていますが。
圭太:そうですか?僕はあえて「横断幕が少ない」と色々な媒体で口にしてきたので。もちろん、嬉しいですよ。
-:ちなみに、僕の持っている横断幕はずいぶんしまったままですが……(笑)、最後に本日の名古屋大賞典(Jpn3)、ピオネロ(牡6、栗東・松永幹厩舎)は惜しかったですね。
圭太:前回、乗せていただいて、ブリンカーをつけても良いんじゃないかと進言させていただいたのですが、その効果はあったようですね。ずいぶんレースぶりは変わりましたよ。
-:プラス体重でしたが、中間も放牧先で乗りこまれていたのでしょう。前回もかなりモタついているというか、ズブさがありましたよね。
圭太:そうなんです。身体は戻ったものとして、今回は良かったと思いますが、今日の動きなら、まだまだやれそうですね。
-:今週は残念ながら、G1の裏開催ですが、こういうところでの騎乗が今後につながっていけばと思います。また、来週もよろしくお願いします!
圭太:ありがとうございます。
(聞き手:競馬ラボ・小野田学)
※次回は4月7日(金)に更新予定です!
プロフィール
戸崎 圭太 - Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗、初勝利を飾るなど若手時代から存在感を放っていたが、本格的に頭角を現したのは08年で306勝をマークし、初めて地方全国リーディング獲得した頃から。次第に中央競馬でのスポット参戦も増えていった。
11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初のJRAG1勝ち。その名を全国に知らしめると、中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を2度目の受験。自身3度目の挑戦で晴れて合格し、13年3月から中央入りを果たした。移籍2年目はジェンティルドンナで有馬記念を制す劇的な幕引きで初の中央リーディング(146勝)を獲得。16年も開催最終週までにもつれた争いを制し、3年連続のJRAリーディングに。史上初となる制裁点ゼロでのリーディングだった。19年にはJRA通算1000勝を達成、史上4人目のNARとのダブル1000勝となった。プライベートでは2022年より剣道道場・川崎真道館道場の総代表を務めている。