ミナリク騎手

初めて短期免許で来日しているミナリク騎手

●日本大好き!ファンサービスも超充実

今、注目度急上昇中の男がいる。フィリップ・ミナリク騎手。検量室前パトロール隊員は、このドイツからはるばるやってきたジョッキーとふれ合う機会も多いが、一言で表せば「ナイスガイ」。大の親日家である彼は、超が付くいい人なのだ。

勝利したあと、記者たちが「コングラチュレーション!」と声を掛けると、笑顔で「アリガトウゴザイマス!」と言いながら、丁寧に、ドイツ競馬の話も交えながらレースを振り返る。そして仕事が終われば「サヨナラ~!」と言いながら手を振って帰る。パドックやウィナーズサークルでも常に笑顔を絶やさない。

3月3日(土)はオーシャンS(G3)ネロ(牡7、栗東・森厩舎)に騎乗し、果敢にハナを切ると前半3F33秒5という絶妙なペースに持ち込んで迫り来る後続を懸命にしのいでいたが、大接戦の末に惜しくも4着。見せ場たっぷりの内容に「自分がこれまで乗った馬の中で一番速い馬でした。作戦通りに乗れました」と独特なコメントを残した。

ファンも、存在感も日に日に増してきているミナリク騎手が使用する鞍の中に、1つだけ『D.P』というイニシャルが入ったものがある。パドックで気づいた方もいるかもしれない。すでにメディアに出ているように、昨年のジャパンCでイキートスに騎乗し、今年1月にがんのため34歳の若さで亡くなったダニエレ・ポルク騎手が使用していた鞍である。大の親友であり、昨年のジャパンCでともに来日したミナリク騎手が、なぜこの鞍を持っているのか。そこには理由があった。

●亡き友の馬具を買い取って売り上げを夫人へ

話は昨年12月にさかのぼる。ジャパンCを終えてドイツに戻ったミナリク騎手の元に、ポルク騎手から連絡があった。がんのため余命があと少しであること、そしてジョッキーをやめること……。ドイツの騎手仲間たちは悲しみに包まれた。「最悪のクリスマス、最悪の正月でした」と振り返る。

何か自分にできることはないか-。そう考えたミナリク騎手は動いた。騎手をやめて故郷のイタリアに帰ると言う親友の馬具を、買い取ることにしたのだ。これに同僚の騎手たちも賛同。ミナリク騎手が鞍を、日本でもお馴染みのアンドレアシュ・シュタルケ騎手ら他のジョッキーやライダー、厩舎関係者たちが鞭やブーツなどの馬具を、それぞれ購入していった。そしてそのお金を全て、ポルク騎手の夫人に寄付したのである。「ただお金をもらうだけだと、それをダニ(ポルク騎手)は嫌がったでしょう」。大切な友の気持ちを汲んでの行動だった。

2月17日(土)の東京7R。サクレディーヴァで制したミナリク騎手は、検量室前で馬から降りると、自らが使用した鞍を手に取り、指を差した。その先には『D.P』のイニシャル。「ジャパンカップに乗るのが彼の夢だったんです」。そのジャパンCが行われる東京競馬場で、2人で掴んだ『初勝利』だった。

ミナリク騎手

2月17日、亡きポルク騎手の鞍で勝利

「本当に短い人生になり、残念です」と改めて惜しみつつ、「彼は競馬に乗っている時も、調教に乗っている時もいつも笑顔で、常にポジティブでした。自分の命があと少しと分かっていても笑顔だったんです。1日でも、1秒でも、人生は大事だと理解しながら笑顔でした。心が強かったです」と、若くしてこの世を去った親友の精神力を称える。

そして「東京競馬場で乗ると、彼を思い出すんです。だからこそ勝利を挙げられて嬉しかったですね。私はこれからも一生懸命乗るので、どうかダニに見守っていてほしいです。そしてダニにいい結果を出しているのを見せたいですね」と、天国へメッセージを送った。

2月25日(日)の中山競馬場。最終レースの後、ミナリク騎手はおもむろに検量室を出ると、グランプリロードで待つファンの元へ向かった。陽も傾き、かなり肌寒い中、集まったファンと握手やサイン、写真撮影に笑顔で応じている光景を目にした。「世界の中でもファンを持っている人は多くないですから(笑)。日本でこうやって声を掛けてもらえるのが楽しくて仕方ないんです。どんどんファンと交流したいですね。いくらでもサインしますよ!」。そう語る『ナイスガイ』は、今日も笑顔で競馬場を後にした。

ミナリク騎手

オーシャンSで懸命に粘るネロ(左端)